ほぼ一年ぶり。背反有理 新ネタ 補充。
日本人は契約しないという契約をしている
上田 誠(1952~万葉学者『協会と千歳飴』89P 2021年4月7日 小学館 刊)
「昔、校長に聞いたんやけどな。先生に向いている人の条件ってのがあるんやって。なんやと思う?」
「なんなん?」
「それはな‥‥」と一旦言葉を切り。、ゆっくりと言った。「自分が先生に向いてないと考えてる人やって」
[過疎地の小学校赴任二年目の新米女子教師とその叔父との会話]
浜口倫太郎の小説『廃校先生』(2016.9.27. 講談社)より まるで禅問答だ。
信じられないことは信じることから生まれる
TOKYO2020 OLYMPIC用三井住友銀行TVCMコピー
(起用のタレントはプロバスケ 八村塁選選手)
繊細だけどおおらかで、自由だけど気難しい
TV番組「アメトーーク」2021.7.22OA
女芸人コンビ「オアシズ」(光浦靖子 大久保佳代子 人力舎 所属)の仲本マネージャーのコメント
楽なんだけど楽じゃない
中途全盲者で「日常的にメモを取り、絵も描く」西島玲那さんの言葉。
伊藤亜紗 著『記憶する体』(2019.9.30 春秋社)45頁
「目が見えなくなって、とっちらかったんですよね。自分の自我が崩壊するというか、分裂したんです。」介助者の親切に対して「『障碍者は障害者らしく』みたいなものがあって、『いや、大丈夫です』と言うことが失礼にあたるんじゃないということをどこか頭で考えていた。楽なんだけど楽じゃないという感じがあった。」
聞こえない。聞こえる。
伊藤亜紗 著『記憶する体』(2019.9.30 春秋社)137~138頁
現代音楽の有名曲 ジョン・ケージの『4分33秒』(1952 発表)は、「三楽章から成り、楽譜には4分33秒という演奏時間は決められているが、演奏者が出す音響の指示がない。」つまり、演奏会場の聴衆は「4分33秒」無音の音楽を聴くことになる。メディアアーティストの落合陽一と日本フィルハーモニー交響楽団が、振動と光で音を感じる装置を使って、耳が聞こえない人も一緒に楽しめる「耳で聞かない音楽会」というプロジェクトを開催。そこで このジョン・ケージの『4分33秒』を演奏した。
楽器の音は存在しないが、そのぶん、咳払いやパンフレットをめくる音など、会場に満ちるノイズに意識が向く。演奏会後の鼎談で、耳に障害のある女の子が「いまの音楽は複雑です」と言ったことを受けて、落合は、「くそーっ、彼女はジョン・ケージの意を得たり」と思ったと語った。そのエピソードに基づくフレーズが表題。伊藤さんはさらに「 『4分33秒』は、まさに「聞く」の輪郭を問う作品。聞こえない。聞こえる。」と書いた。
「見て見ぬふりを 人が見ている」
高田文夫『ご笑納下さい 私だけが知っている金言・笑言・名言録』(2019.1.1新潮文庫)
死ぬことは、生まれたときから決まってたじゃないか。
「問の中にこそ、答えがある!」
問いが次々に湧き出すことこそが、何よりも雄弁な答えではないのか。
辻智彦TVカメラマン『ドキュメンタリー撮影問答』(2021.5.1. 玄光社)
厳しく甘く汚く美しい土。
直接向き合うためには、強靭で柔軟で狡猾で鋭敏でなければならないし
(人間以外の異種)多くの生物との生臭い戦闘や交渉や癒着の必要もあろう。
切実にして愉絶。
東千茅『人類堆肥化計画』158頁(2020.10.30. 創元社)
飛翔するより根をおろす先を再考せよ というフレーズも(仝上 東千茅の本)
大事なことは大事でないことより大事だなどとは信じられなくなる
ヴィスワヴィァ・シンボルスカ「題はなくてもいい」『終わりと始まり』沼野充義訳(未知谷 1997)
縫い付ける針が布と布を糸で縫い合わせるとき、わずかずつ布を傷つけること、何かと何かをつなぎ合わせて強くするためにわずかずつ害をなし合うことを思い出した
美術作家 森本めぐみ
「青春は再びかえらず、とはひどく綺麗な話だけれども、青春は永遠に去らず、とは切ない話である」
坂口安吾「青春論」1942
「なんかこう、不思議な話だなあと思って、個人的であればあるほど普遍的になるっていう側面は、やっぱ眼前(厳然?現前?)とあるんですよね。」
(2018年3月14日にYouTubeで公開された「米津玄師 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎と、Lemon。」での米津玄師の発言)
意味の無意味
無意味の意味
「非現実的なものを作るには現実を拠り所とするしかないと信じている」
「沈黙はトーキー映画の偉大なる発見である」
( BRESSON PAR BRESSON Entretiens 1943-1983 『彼自身によるロベール・ブレッソン インタビュー1943-1983』 ミレーヌ・ブレッソン編 角井誠訳 2019.3.29 法政大学出版局 刊)
「映画とは視覚の集中のために作られたものなのです。集中させるということは隠すことでもあります。」
(ぺドロ・コスタ『歩く、見る、待つ ペドロ・コスタ映画論講義 』 土田環訳 2018.5.25 ソリレス書店 刊)
映画館 「ひとりじゃないのにひとりになれる場所」
(2021.12.2. MBSのTV番組でパンサー向井の「‥‥レイトショー」の句に夏井いつきが評したコメントの中でいったひと言)
赤い白墨
よいは悪い 悪いは良い 良いこと すれば悪く なる
(ダディ・グース:矢作俊彦が小説家になる前漫画家時代の名前『砦に下に吾が世界(よ)を Machbeth’69!』双葉社 週刊漫画アクション1969年9月25日号)
「深さは隠されていなければならない。どこに?表面(うわべ)に」
Itaro Calvino『カルヴィーノ アメリカ講義―新たな千年紀のための六つのメモ』(米川良夫・和田忠彦訳 岩波文庫 2011 138頁)
映画はとても複雑な構造なのに、見かけ上はきわめてシンプルな物語で、あらゆる思考はその奥底に潜んでいます。
(『侯孝賢の映画講義』 みすず書房 2021 91頁 小津安二郎『東京物語』についての言及)
そもそも、新しさとは伝統に根ざすものでしょう。
(同 上述書 252頁)
「(でも矛盾ですが、) 翻訳不可能なものを翻訳すべきです 」
(エドワード・G・サイデンステッカー「『雪国』の翻訳」:『国文学 解釈と鑑賞』別冊『川端康成「雪国」60周年』1998.3. 至文堂)
「ニセモノ それも本物の。」
(小田嶋隆「アピース・オブ・警句」日経ビジネス連載コラム2022.1.28.記事「アルゴリズムよ、勝手に私の視野を狭めないでおくれ」から)
ゆっくり いそごう
(長谷川四郎「新人発言」1953(S28)より)
アコークロー=明う暗う (沖縄方言 黄昏れ時 トワイライト:薄暮全般)
こおったほのお
清岡卓行の詩集は『氷った焔』 大岡昇平の小説は『凍った炎』。そして須賀敦子はイタリア詩人の詩の一節を「凍った焔」と訳している。イギリスの作家ジョン・ファウルルズの箴言集『アリストス』には「窓の外を見よ。あなたの目に映る一切のものは、炎から炎へ移りゆく途中の凍った炎である。」という一節がある。
愛おしくなるほどダサかった
(交通量調査のへヴィメタおっさんに: 爪切男の勤労エッセー『働きアリに花束を』2021.3.扶桑社 より )
「映画の終わりが、実は始まりなんだ」
小津安二郎の口癖だったらしい(高橋治『絢爛たる影絵―小津安二郎』1982.文藝春秋 より)
「変わらないものが常に新しい」
同じく小津安二郎のことば
信じたいために 疑いつづける
(岡林信康作詞作曲『自由への長い旅』1971年発表の歌詞 一番の一部)
負けるが勝ち
多数の友を持つ者は、一人の友も持たない
([希] アリストテレス)
「先生って、生徒だ」「生徒って、先生だ」
「大人って、子どもだ」
「仕事って、遊びだ」
「言葉って、武器だ」
「欲張りって、長所だ」
‥‥「○○って、△△だ」と、真逆の言葉 量産のススメ
(電通のコピーライター梅田悟司の本『「言葉にできる」は武器になる。』2016 日本経済新聞出版社 の ビジネスマン向けハウツー本 )
『ゆっくり、いそげ』
(影山智明の本のタイトル2015.3.3. 大和書房 刊JR中央線・乗降者数最下位の西国分寺駅―そこで全国1位のカフェをつくった著者影山が挑戦する、“理想と現実”を両立させる経済の形。)
(人工島についての市の説明は)とっても分かりやすくて、しかしなんにも分からない。
目の前に未来はあって、その未来はもう終わってしまっている
(橋本治『人工島戦記 あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科』2021.9.30.ホーム社 刊)
(森田芳光の映画『未来の想い出 Last Christmas』1992年タイトル)
穏(いん)に似て穏にあらず、賢に似て賢ならず、物知りに似て何も知らず ‥‥
(近松門左衛門が自らの画像に賛してこう記した。‥「口にまかせ筆を走らせ一生を囀りちらし、今わの際に言うべく思うべき真の一大事は一字半言もなき倒惑(たうわく)」と続く。関川夏央 『人間晩年図巻 2000-03年』071頁からの孫孫引き)
「寡黙」なる「雄弁」 「雄弁」なる「寡黙」
(蓮實重彦『ショットとは何か』【2022.4.29.講談社 刊】の末尾の記述。
「映画・この不在なるものの輝き」
(蓮實重彦の1970のエッセイのタイトル(1979『映画の神話学』泰流社刊に所収)
「空虚の表象はきまって充実した表象である」
(1907ベルグソン『創造的進化』1979 真方敬道訳 岩波文庫)
――― とりあえず、ココまで。