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第三の人:セルジュ・ダネー

アンリ・ラングロアやアンドレ・バザンについては夙に有名だろう。セルジュ・ダネーの名は、今回『作家主義[新装改訂版]【2022.4.15 フィルムアート社 刊】で初めて知った。

 

巻頭、「結局」と題された序文が出色だった。

ヌーヴェル・ヴァーグ映画作家たちが〈カイエ・デュ・シネマ〉誌の批評家時代にかかげた映画批評の基本路線「作家主義」が、結局、自分たちの映画を実現するためにとった戦略=兵器なのだと語る。

ヌーヴェル・ヴァーグとは、映画史上はじめてシネフィルが映画作家になった世代である。1950年代のフランス映画産業の状況からすると、映画を学ぶ現場はひとつではないと若者が考えるのは必然だった。助監督をやりながら学ぶのはいちばん時間がかかり、頭を悪くするばかりだった。シネマテークに通うのは偶像破壊的であると同時に敬虔であり、偏狭であると同時に寛大で、やる価値があった。(訳:須藤健太郎

撮影所の徒弟制度・育成訓練機能が役立たなくなっていることに気づいた「若手急進派」(怒れる若者and? or?イカレタ若者)が映画の状況を自分たちにとって有利な環境に変えていくための「政治=作戦行動」だった と直言・評価する。(ココに序文「結局」の全文を引きたい誘惑にかられるが、止めておく。)

以来半世紀、作家主義ヌーヴェル・ヴァーグ信者は世界中に生まれ、力を持ち、市民権を得た。確かに映画は作家のものだ。監督の名が付され歴史に残る。一本作っただけの学生映画監督も居れば小津安二郎もいる。もう十分だ。味噌も糞も一緒くた、彼らを等しく「映画作家」と呼ぶ風潮はもう卒業した方がいいのではなかろうか。

時代は変わった。環境も技術も産業も変わった。「脱・作家主義」「ポスト作家主義時代」‥そろそろ『新しい波』が始まっても良さそうに思う。(この項 明日に 続く)