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『文にあたる』からさらにスピンオフ P.マーロウ [ hard : gentle ]

私立探偵フィリップマーロウを主人公とするレイモン・チャンドラー(1888~1959)の探偵小説シリーズ 第七作『プレイバック』

作中、ヒロインから、

❝ How can such a hard man be so gentle? she asked wonderingly. ❞

「あなたの様にhardな人が、どうしてそんなにgentleになれるの?」とwonderinglyに問われ、

探偵マーロウは答える。

❝ If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.❞

 

本国ではそれほどではないようだが、日本では名セリフとして有名だ。

 

1959年(S34) 清水俊二は、「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない。」と訳した。

1962年(S37) 丸谷才一が雑誌『エラリィ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』で取り上げ、世間に知られるようになる。そして、

1964年(S39) 生島次郎 はハードボイルドとは何かを語る際にしばしばこの一節を引用し「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない。」と訳した。

それ以外にも、「たくましくなければ」とか「強くなければ」という訳文も出回った。矢作俊彦は、原文を大事に「ハードでなければ生きていけない、ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」とするのが正しいと述べた。

そして1978年(S53) 角川映画『野生の証明』のキャッチフレーズに似て使われ大ブレイクした。多分今でもこのフレーズが一番 憶えられているのではないか。

男はタフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない。」

さて、丸谷才一は「腹に据えかね」、清水俊二は困惑した。

丸谷は、〈原文を知らず、断りもせぬまま、ニュアンスの違う使い方で流用している〉と怒り、映画字幕翻訳を多数手がけてきた清水俊二は、〈そう言われてみると、私も腹を立てなければいけなかったのかもしれないが、映画界というところは、なにごともことなかれ方式よしとされているところで、いまさら何か言ったところで、もはや証文の出しおくれである。〉と匙を投げた。

思い出す。当時の角川映画の鼻息はすごかった。あたりかまわぬメディアミックス=角川商法、破竹の勢い。

たしかに「男は」なんて余計だし、「タフでなければ」なんてカッコづけはマーロウにそぐわない。キザに過ぎる。マッチョ・マチズモに貶めている、もっと繊細で思慮深いはずの人物像の彫りが浅くなっている。

英語に詳しい知人に聞いたら、こう教えてくれた。

* * * *

ここでの ❝ hard ❞ は、「精神的に強い」とか「(自分に)厳しい」の意味だろうし、 ❝ gentle ❞は、「(相手に)優しい」ということだろう。「男の強さ」としたのは大きな間違い。「人間としての強さ」を滲ませて訳さないと‥物足りない。ヒロインが使った❝ hard ❞ と ❝ gentle ❞をどう対比的に生かして訳すかが勝負どころ、だね。

* * * *

そしてこうして、2016年(H28)に村上春樹の新訳が出た。

厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない。」

後書きで、村上は正確な訳としては「冷徹な心なくしては生きてこられなかっただろう。(しかし時に応じて)優しくなれないようなら、生きるには値しない」と記し、同時に、「これではパンチライン(決めぜりふ)にはなりにくい」とも書いた。柴田元幸とのトークイベントではこうも言っているようだ。「「ハード❝ hard ❞とタフ❝ tough❞は違う」「アライブ❝ alive ❞というのは、生きている“長い状態”だから『生きていけない』というよりは、『生き続けてはいけない』」「『タフじゃなければ生きていけない』というのはそういう面ではかなりの意訳なんですよね。でも響きとしてはいい。」

 

正解はひとつじゃない。

精読したうえでの意訳もありだろう。

加えて、

目で読む文字と耳で聴く音声の味わいは別物だ。

今日は、そんなことを想ってダラダラ長々書き留めてしまった。