2ペンスの希望

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「論理映画」「文学映画」

本『災間の唄』【2020.10.31. CYZOサイゾー 刊】を読んだ。2011年から2020年にかけてコラムニスト小田嶋隆ツイッターに投稿したツイートをフリーライター武田砂鉄がセレクトした本だ。

ツイッターはやらないので近づいたことはない。小田嶋隆は好きだったが、もっぱら紙の雑誌掲載コラムや単行本で読んできた。ナンシー関の後継ランナーとして彼女の三分の一くらいには信用してきた。ナンシー関はどんな球でも確実に打ち返す10割バッターだったが、小田嶋は打率三割のアベレージヒッターだと思う)
こんなページを見つけた。

🔳お国が「国語」を「論理国語」と「文学国語」に分類する狙いは、「文章」を「論理を基盤とした情報運搬ツールとしての側面」と「情感や余韻や行間を読み合って楽しむお気持ち忖度娯楽」に分類し、さらには「本文」と「行間」に分類したうえで「行間」の部分を駆逐することなのではあるまいか。🔳でもまあ、文科省が「国語」を「情報の読み取りと発信のための基礎技術」と見なしているのであれば、教育現場の国語を「論理国語」に特化しようとするのは当然の流れなのだろうね。というのも、日本語の中の「文学的な要素」は情報伝達にとっては「ノイズ」に過ぎないのだろうからして🔳ただ、「論理国語」と「文学国語」という分け方は、文学が非論理的であり論理が非文学的であることを示唆してしまっている意味で、適切なネーミングではないと思う。2018.10.31.ツイート(註:太字強調は引用者)

「国語」を「映画」に置き換えて読んでみた。