2ペンスの希望

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「むしろ映画を撮っていない間に映画を作っている」

『幻の小川紳介ノート』【2022.2.7 シネ・ヌーヴォ発行 ブレーンセンター発売】をワクワク読んだ。

大阪の映画館シネ・ヌーヴォの景山理さんが永く預かったままでいた小川紳介の「トリの映画祭訪問記」を中心に、パートナー=同伴走者 小川洋子(白石洋子)の仕事と晩年の小川紳介を纏めた本だ。

トリノ映画祭に同行した山根貞男は「記録魔で料理好き」「感情の振幅大きく」俗なる一面も持つと活写する。同じく蓮實重彦は「小川さんの獰猛さ」「乾いた殺気」と記す。これら現地のエピソードから、等身大・肉声の小川紳介が立ち上がってくる。

書き留めておきたい言葉は幾つもあるが、今日は二つだけ。

ある映画を現実に撮っている時は、いま撮っている瞬間の出来事は、カメラマンのフレームの中にしかないのです。もちろん、今でしたら、テレビでモニターすることも可能でしょうが、当時はそれはありませんでした。その瞬間、監督は何もできません。

 結局、僕がしたことは、自分たちが作りたいもの、自分の気持ち、つまり自分の言葉にならないイラ立ち、怒り、喜び、まるで喋れない赤ん坊のように、そういうものを、スタッフに対してぶつけ、語る。そして、カメラマンやスタッフと、むしろ映画を撮っていない間に映画を作っているというか、そういうことをやってきました。そして、撮影現場で、カメラと現実との間に起きる微妙なズレを映画として増幅する自由な映画的行き来を作りたいと思ってきました。(64頁:太字強調は引用者)

劇であれ、記録であれ、いい作品は必ず作られた時代の匂いを画面や音の中に封じ込めてある。スクリーンに向かって映写するということは、その封を切ることかもしれない。(78頁)

付記:映画資料の保存を生涯の業(ぎょう:行)とする安井喜雄さんの文章「小川プロの資料保存と映画『満山紅柿 』白石洋子の仕事を振り返る」は、記録性の高さでいつも感心する。