浜野佐知の『女になれない職業 いかにして300本超の映画を監督・制作したか。』【2022.9.22. ころから 刊】、高野文子と昭和のくらし博物館 の『いずみさん、とっておいては どうですか』【2022.9.21. 平凡社 刊】を読んだ。
「ピンク映画から一般映画に転身した男性監督の多くは二度とピンク映画に戻って来ない。だが、私はこの第一作(引用者註:1998年制作『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』のこと)が評価されてもピンク映画を撮り続けた。それが私の「職業」だったからだ。そして、私の撮るべきテーマは、ピンク映画だろうと一般映画だろうと変わりはなかった。「女の性を女の手に取り戻す」これが私の映画人生をかけたテーマだった。」「私はサングラスをかけた。涙は見せない。これが私の戦闘服だ。」
戦闘モードを崩さないピンク映画監督と、
「ところで、話は変わりますけど、私は昭和って時代がとくに好きなわけじゃないです。良い時代だった、という人がいれば、うんうんとうなずくし、ひどい時代だったという人がいれば、これにもうんうんとうなずいています。時間の速さはいつも同じだし、その時どこにいたかはかなりの偶然。そう思うと、うなずくくらいしかできません。」
平穏モードを貫く寡作 漫画家、どちらも女性の手になる二冊。
文体も装いも違う。手触りも味わいも異なる。どちらが上とは 言わないし 言えない。
ただ、同時代を生きた意地悪爺さんにも、好みはあるし、正直 腕の差も感じてしまった。