2ペンスの希望

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黄昏‥‥①

①は伊藤大輔 1898(M31)年10月 生。GHQによる占領下、チャンバラ(剣戟)が禁止されている制約の中での戦後第一作の時代劇『素浪人罷通る』1947(S22)年、伊藤47歳。

刀によるチャンチャンバラバラのないチャンバラ映画を伊藤はどう作ったのか‥上野は書く。

冒頭、あっちの街道から数人の侍が駆けて行くかと思えば、こっちの道から別の一団が行き、さらに、そっちから新手が現れるというように、何が起こったのかわからないままに、あっちからもこっちからもワラワラと人が駆けてくるのを短いカットの積み重ねで見せ、なんだ、なんだ、というふうに見るものを巻き込んでいく、これぞチャンバラ映画の始まりなのだ。

だけど、これはチャンバラに限らず、西部劇にもよくあったから、むしろ活劇の導入部のある種のパターンといっていいのかもしれない。しかし、見ればやっぱりワクワクするし、それと同時に、なんとも懐かしい気持になる。

どうせ昔の巨匠だろ、いまの時代のセンスに合わねえよ、なんて思っているとしたら、とんでもない。今のエンターテインメントなんてのより、ぜんぜん新しいのだ。

翌1948(S23)年、阪妻主演で『王将』を撮る。この映画の冒頭、街の描写。

雑然と人の行き交う通りを、右斜め奥から左へ、母親と娘が歩いている。と、娘が立ち止まって、振り返るようにしながら「なんや、お父ちゃん、エラそうにして、どこ行くんやろ」というと、カットが変わって、カンカン帽をかむった男が、右手前から左奥といった方向に小走りに行く後姿が見える。といったところの視線と身体の動きの交差のさせ方、なんでもないようだけど、大勢の人のなかから二人へ、そうして一人へという絞り込みの見事さ。こういうことって、いまの作家は忘れちゃってるんじゃないかね。