2ペンスの希望

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黄昏‥‥⑭

⑭は土本典昭 1928(S2)年12月 生。

映画ではなく、本『ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家土本典昭との対話』に寄せた一文から。

三里塚の小川(紳介)に対する水俣の土本といわれた土本典昭さんが、二〇〇八年六月二十四日、亡くなられた。‥‥‥彼は、まずカメラを持たずに、患者さんたちの東京での運動に関わっていくのだ。この点は、撮ろうとする対象の違いがあるが、小川紳介の「三里塚」の場合とまったく違う。小川紳介は、学生に誘われて行った三里塚で、戸村一作委員長に挑発されたのがきっかけで三里塚に入っていき、映画班として撮るようになる。だが、土本は、厚生省(当時)に座り込みをするなどの運動支援者として、まず水俣に関わっていくのだ。

撮った順に編集した」「撮った順序は崩せない

「撮った順に」ということは、対象にカメラを向けていく、そのプロセスが、そのまま作品として展開していくという結果になるが、それは、撮られている対象と同時に、対象と撮る側の関係性が映し出されていくということになるだろう。(「香港電影通信」2008年8月20日号)

「香港電影通信」◆ 発行元は、当時元気だった映画配給・製作会社プレノンアッシュ

もうひとつ、小川との違いは共働するプロデューサーの有無だろう。

高木隆太郎さん。1932(S7)年~2017(R28)年 享年85 熊本県生まれ つまりは 肥後もっこす

高木隆太郎 1970年ごろ?

岩波映画から東プロダクションを経て青林舎を立ち上げ 生涯 土本と共働した。「借金で映画をつくり、映画で借金を返す」がモットー。今はシグロの山上徹二郎さんが遺志を継ぐ。