2ペンスの希望

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黄昏‥‥㉑

㉑は曽根中生 1937(S12)年10月 生。

『天使のはらわた 赤い教室』(1979年 日活調布)石井隆の劇画が原作の映画だ。

劇画の名美が、劇画的空間を生きてこそのあのような女であるのに対して、映画の彼女は、映画的空間を生きなければならないのである。それはまた、ひとつひとつは自在なフレームをとり得るコマと、そのコマ展開によって成立している劇画の場合と、物理的に制約されたフレームを、スクリーンとして持ってしまっている映画との違いでもあり、実はその点で、『赤い教室』は、見事に映画なのである。

名美という女が生きる『赤い教室』の映画的空間の特徴は何かといえば、狭く貧しいということである。端的に空間そのものの狭さとして、名美を、あるいはまた主人公の男を脅かし続けていたのである。と同時に、スクリーンという空間そのものの貧しさを露呈し続けていたのである。たとえば ――

おそらくはこの映画でもっとも感動的なシーンであるだろう、名美と主人公の男が旅館にいる場面。

ソレがコレ。

www.youtube.com感動的なのは、エロ本作りで神経をすりへらしているような男が、暴行を受けた現場を8ミリで撮られているような女へに、純真素朴な愛を告白した、そのことによるのではない。むしろ逆なのだ。このような愛が、かかる閉ざされた空間において語られたが故に、それは感動的だったのだ。男にも女にも即座には信じられないような、否、それよりも何よりも我々観客にとってこそ容易には信じ難い愛の告白が成立したのは、両側のふすまによって狭く限定された空間によってなのである。

それは決して偶然ではない。ここには、曽根中生の、映画的空間に対する明瞭な意思が働いているのである。彼は明らかに意志して、主人公の男を、あるいは女を、狭いなかでもさらに狭い空間に、両側を何かが遮断して閉じてしまった空間に、置いたのである。しかもこのとき重要なのは、その閉ざされているというのが、決して比喩ではなく、あくまでも具体的なことである点だ。具体的に閉ざされた空間を作ること――曽根中生は、それを、あたかも映画のなかにさらに方形に閉ざされた映画を作るように、執拗に厳格に実践していくのである。

映画『天使のはらわた 赤い教室』は、決して実を結ぶことのない愛の物語だが、そしてその意味では凡百のメロドラマとなんら変るところのない物語にすぎないが、にもかかわらずそれがおそろしく感動的なのは、この愛が、愛する男の心情を切々と語るなどということによってではなく、また、愛という観念を美しく映像化するによってでもなく、端的に、狭く貧しい空間のうちに閉じこめられた男と女の劇として、その映画的空間を持続しきった点にあるのだ。人は、映画的空間などということばを耳にすると広大無辺な荒野を一望の下におさめた画を想像したりするかもしれないが、しかしそれは、映画が、どうあがいたとてスクリーンという限られた空間から抜け出せないというその生存条件を、広さとして錯覚したいがための束の間の夢に映った光景にすぎず、そこに映画の可能性があるのではないのだ。映画は狭く限定された空間にあるその狭さを狭さとして、貧しさを貧しさとして、徹底してストイックに引き受けたところで曽根中生は信じ難いほど美しい愛の物語を語ったのである。それは何よりも、彼の映画への愛の証しにほかならないのだ。(冬樹社の文芸誌「カイエ」1979年5月号 「閉ざされた空間を作る」 例によって 太字強調は引用者)