2ペンスの希望

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黄昏‥‥㉓

㉓は布川徹郎 1942(S17)年8月 生。NDU(日本 ドキュメンタリスト ユニオン)の一員。

やはりNDUのNDUたる所以は、『モトシンカカランヌー』(1971年)

どのようなスタンスで、「復帰」前夜の沖縄社会を撮るのかが問われるが、NDUの出した答えは、「モトシンカカランヌー」だった。元手いらずの商売、すなわち娼婦ややくざを示す「モトシンカカランヌー」という言葉を選んだのは、正解である。

火炎瓶が飛び、基地の金網を引き倒そうとロープをかけるデモ隊。一日平均十人の客を取ると語る娼婦の声。そこにかぶさる藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」。あれは吉原の宿であろうか、無人の廊下を縦の構図で捉えたショット。突き当たりの窓が外光で明るいのに対して、板張りの廊下は黒く、その両側でそれぞれの部屋の入口にかけられたカーテンが風に揺れている。これぞ映画だ。「NDUは、境界を往く」より 『伝説の映画集団NDUと布川徹郎』2012年 シネマトリックス・神戸ドキュメンタリー映画祭実行委員会 所収)

下記は、映画『モトシンカカランヌ』白黒16mmフィルムと同じ場所を再訪 20年後のカラー映像をWらせた YouTube動画

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今回も【特別附録】:2012年神戸映画資料館で開かれたNDU特集上映に寄せた管理人のコメントを備忘録。

出会いは1971年、京都の西部講堂だった。映画は『モトシンカカランヌ沖縄エロス外伝 』。おったまげた。あるのは圧倒的な映像だけ。教条や正義は無かった。一発でもっていかれた。以来四十年来のファン。長い冬眠から醒め再浮上した2005『出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦』にも震えた。1973『アジアはひとつ』のエンディング「もう一度戦争がしたい、あはは」から一直線に繋がっている。力も志もまったく衰えていない。
小川紳介もいい。土本典昭も悪くはない。けど、NDU布川徹郎はもっといいのだ。きっと何度でも再浮上するに決まっている。
生涯「監督」を名乗らず、「共同制作」を貫いた布川が残した「取材現場・備忘録」にこんな項がある。《未来よりも現在が豊かで大事。現在よりも過去が豊かで大事》 《現場の成り行き、最優先。匿名・無名・無告の人たちからのメッセージを聞け》

NDU 布川徹郎は2012年2月に逝き、『出草之歌』を作ったNDU 井上修も2022年6月に逝った。あらためて 合掌。