2ペンスの希望

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黄昏‥‥㊴

㊴は諏訪敦彦 1960(S35)年5月生。

「デビュー作には、その作家のすべてが詰まっている」という言葉を必ずしも信奉するわけでもないが、諏訪映画は第一作『2/デュオ』(1997) に尽きている。

最新作『風の電話』(2020年)を見て改めてそう思った。監督としての軌跡・成長がないとまでは言わないが、粗削りではあっても、息苦しいまでに張りつめた映画としての強度は『2/デュオ』のほうが勝っているようにみえる。

キネマ旬報」1997年8月上旬号の上野の文章。

いったい、何がそれを可能にしたのか。一言でいえば、監督の諏訪やプロデューサーの仙頭武則はもとより、撮影の田村正毅をはじめとする全スタッフ、また、柳愛理と西島秀俊の主演二人を中心とする全キャストが、果敢にこの試みに取り組んで力を結集させたからということになるだろう。そんなことを、ことさらいうのは、この映画が、普通とは違って、全体の流れとシチュエイションだけを決めた十ページぐらいの

ノートをもとに作られたというからだ。つまり、そこには通常のシナリオはなく、従ってセリフも、それぞれの状況のなかで、俳優たちが一回ごとに考え、探りながら作り出していかねばならないのである。だから、一歩間違えれば失敗するし、場合によっては、作品そのものが成立しなくなるだろう。その危険な賭けに成功したのは、全スタッフ全キャストが、よほどの力を集中させ、それがいい方向に働いたというしかない。そしてそれは、端的に画面の力として現れているのである。

上野の指摘は、映像に沿ってどこまでも具体的だ。

どこかで互いに相手との距離を測り合っているような主人公二人のやり取りを凝視し微動だにしなかったカメラが、ふと視線をずらすようにして緩やかにパンするときの、不安と安堵がないまぜになったなんともいえない感覚。

田村カメラマンのこの大胆さと繊細さには、本当に驚かされる。そこでは、見ることと見ないことが、常に一回的な行為として選ばれ、そうすることで、見ることの自由と不自由が改めて問われるといってもいいだろう。それは、おそらく、ここでの俳優たちの演技にも関わっているはずである。西島秀俊にしろ柳愛理にしろ、圭を演じ、優を演じるということは、圭や優の生をみずからのうちに呼び込み、彼らならどうするかと問いつつ、彼にして我の表現のありようを探るしかないからである。そこでは、演技することの自由と不自由が、ともに無限大へと口を開きながら、かろうじて互いの互いに対する関係性につなぎ止められ、そのつど選びとられていくのである。

(「決定的な時間が流れた――『2/デュオ』」太字強調は引用者)

そうなのだ、チームプレイ、スタッフワークの要は監督であると同時にキャメラマンなのだ。

これは全くの推察でしかないが、『2/デュオ』の制作現場をリードしたのは、37歳の新人監督 諏訪より20歳以上も歳上の田村キャメラマンだったのではなかろうか。そして、田村は、諏訪のやりたいこと・考えたことを最大限に尊重して現場に臨んだのではないだろうか。そこに稀有な時間が結晶した

田村正毅 1939(S14)年1月生。2018(H30)年5月他界。ドキュメンタリーと劇映画を並行して手掛け、とりわけ新しく若い監督と意識的・意志的・意欲的にタッグを組んできた。1987年頃まで小川プロのドキュメンタリー作品と並行して、劇映画では黒木和雄柳町光男青山真治らと多くの作品を残す。他に相米慎二石井聰亙(岳龍)、伊丹十三、佐藤眞、林海象らの作品を手がけた。90年代は諏訪敦彦、河瀨直美、鈴木卓爾ら新人のデビュー作品の撮影に多く参加している。