『「小津安二郎に憑かれた男」の映画案内 田中眞澄・映画コラム傑作選』【田中眞澄著 平山周吉編 2025/12/18 草思社刊】を読んでいる。

いやぁ、面白い。知る人ぞ知る「在野の怪人」田中眞澄さんの小津研究以外の映画コラム、「平明」で「柔らかい」文章が満載だ。

著者:田中眞澄さん(1946ー2011)

編者:平山周吉さん(1952~ )
冒頭に置かれた編者:平山周吉さんの文章から 適宜 引用してみる。
「実は僕が二十歳ぐらいのとき、最初に見たのは『麦秋』で非常に感動したんです。僕はそれまで大島渚などに特に関心があった世代ですから、どうしてこういう映画でこんなに感動するのだろうと。そういう謎から入って、小津さんの映画をずっと見続けることになってしまったんです」(三田評論2003年12月号座談会での田中眞澄の発言)
「その後、五十回以上観ている。ヴィデオやDVDの普及する前だから、見るのは名画座や京橋のフィルムセンター(現、国立映画アーカイブ)で上映される時に限られていた。
「見る」「見続ける」だけではなかった。「調べる」「読む」「歩く」も同時進行させた。「調べ続ける」「読み続ける」「歩き続ける」二十六歳の時(1972)から四十一歳(1987)までの十五年間、田中眞澄の出没地帯は国会図書館とフィルムセンター(国立近代美術兼附属フィルムセンター)であることは間違いなく、いつの回でも、同じ席を占拠している。国会図書館は、自らの「書斎」でもあった。朝一番に国会図書館に行き、過去の新聞と雑誌をずっと読んでいく。午後は京橋のフィルムセンターに行くので、それまでの時間を新聞雑誌の絨毯爆撃に費やす。
「資料を集めている」というより、資料を鉛筆片手に書き写しているといった方が正確になる。切り抜きでもなければ、コピーでもない。ミミズが這ったような、しかし、その割には読み易くもある文字で几帳面に書かれていた。聞けば、コピー代がたいへんだから、だという。改行位置はもちろん、誤植と思われるものも「ママ「と脇に書き添えて写しています。テン・マルも文字遣いもそのまま。
奇特な人というか。酔狂というべきか。」
蓮實重彦との角逐(確執?)はつとに有名だ。
元東京国立近代美術館フィルムセンター 客員研究員 浅利浩之は、田中について「「映画を論じて映画しか論じない」テクスト中心主義者たちに小津映画が消費されていることに不満がある」と書き、
平山周吉は、こう解説する。「蓮實重彦の映画批評は「抑圧」を旨としているが、田中眞澄の映画の文章はいつも「寛容」と「諦観」を漂わせ、批判を口にするとしても、一杯機嫌でしゃれのめし、上昇志向なしで、むしろ下降するといった傾向があった。」
「歴史を部分でなく全体として、啓蒙者の言説とは別に、大衆とか民衆とかのレベルで実感するための方法。二十世紀最大の大衆文化となった映画に、世相史と思想史が相渉る舞台をひとまず想定。」
「「小津映画」という入口から、間口広く敷居低く、田中眞澄の案内で進んでいくと、こんなに広いパースペクティブを得られ、広大な裾野と歴史的な視点が得られる。」とまで書く。
田中眞澄ご当人も、キネマ旬報の映画女優さんを綴った連載コラムについてこう自解する。
「日本の近代史、戦後史に対する私の考えを映画女優史に応用する試み。単に個々の女優の業績を解説したり、主観的な愛着を語ったりする以上に、彼女たちを歴史的社会的存在として位置づけることを狙った。〝映画〟という枠組を超えたところで彼女たちが体現した日本の近代化のさまざまな姿態、それに対する反作用のあらわれをスケッチしてみたつもりである」
「硬さ」を否定するわけじゃないけども‥サ。読み進めながら、「柔よく剛を制す」という言葉を思い出しちゃった。豊かで滋養あり。御大の「生硬+重厚」より在野の「精巧+洒脱」こそ断固支持だ!
