2ペンスの希望

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2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

黄昏‥‥⑱

⑱は大島渚 1932(S7)年3月 生。 大島については色々書いているが、『愛のコリーダ』(1976年)裁判を巡る顛末が面白い。(どんな裁判かは適当にググってくれ。わんさか出てくる筈だ) 当初訴えられた被告・大島側は「ワイセツで何が悪い」という論陣を張ってい…

黄昏‥‥⑰

⑰は山田洋次 1931(S6)年9月 生。 四本の文章が載っている。後半分は結構ボロクソ、ケチョンケチョンだ。 1960年代のハナ肇映画の面白さと 渥美清「寅さん」シリーズをはじめとする 1970年代以降の映画のダメさ加減を丁寧に具体的に俎上に載せて捌いていく。1…

黄昏‥‥⑯

⑯は黒木和雄 1930(S5)年11月 生。 上野には珍しくちょっぴり観念・抽象的、歯切れもよろしくない。 彼は、一つの視点一つの角度といったものでは決して満足しないのである。だが、おそらく、それを貪欲な作家というだけでは、言葉として不正確であろう。彼は…

Underground series 小田香

豊中市曽根に出掛けて、小田香監督の『GAMA』を見て来た。 小田さんは、このところずっと日本の地下を撮り続けている。その新作お披露目上映、無料ということもあってか200席がほぼ満員の盛況だった。 豊中市とコザ市の交流をバックグラウンドにしたアーツプ…

黄昏‥‥⓯

⓯は深作欣二 1930(S5)年7月 生。 深作欣二と笠原和夫といえば、世間一般の理解としては、『仁義なき戦い』五部作(一九七三-七四)の名コンビということになるだろう。 こう書いたうえで、上野は異を唱える。実は大違い、どちらかといえば水と油だ、と。 笠…

黄昏‥‥⑭

⑭は土本典昭 1928(S2)年12月 生。 映画ではなく、本『ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話』に寄せた一文から。 三里塚の小川(紳介)に対する水俣の土本といわれた土本典昭さんが、二〇〇八年六月二十四日、亡くなられた。‥‥‥彼は、まずカ…

『REVOLUTION+1』実見

2022年10月のブログで映画『REVOLUTION+1』についてはシリーズで何度も書いた。そう、アノ人がアノ人にナニされたことを題材にアノ人たちが作った映画だ。 横浜若葉町と名古屋椿町と大阪十三の三映画館限定での先行ロードショー。どんな事情・経緯・思惑が…

黄昏‥‥⑬

⑬は森﨑東 1927(S2)年11月 生。 上野昂志の文章はいつなんどきでも具体的だ。間違っても、小難しい単語を並べもったいぶった言い回しで難解な理屈をこね回すような物言いはしない。映画を見ていなくても、映像が目に浮かぶ。たとえば、『ロケーション』(1984…

黄昏‥⑫

⑫は増村保造 1924(T13)年8月 生。 増村についての文章は多くない。多作だが凡作も混じるゆえの敬遠かナ、性が合わなかったのかナ、なんて憶測していたら、山根貞男とのトークショーではこんなことを言っている。 上野 なまけもので、仕事はしてるんですけど…

黄昏‥‥⑪

⑪は石井輝男 1924(T13)年1月 生。 あの『網走番外地』東映ポルノの石井輝男がつげ義春を映画化する?! きっと上野昂志も驚いたはずだ。戸惑いをそのままに綴っている。 カット割りが、原作のコマ割りをなぞるようにしてやられている‥そうなると、マンガのコ…

黄昏‥‥⑩

⑩は鈴木清順 1923(T12)年5月 生。 『黄昏映画館 わが日本映画誌 』の中で鈴木清順の頁は一番のボリュームだ。ゆうに百頁を超える。上野は一貫して清順を支持し続けた。日活プログラムピクチャー時代、『殺しの烙印』での日活解雇、雌伏を経ての活動再開・再…

黄昏‥‥⑨

⑨は田中徳三1920(T9)年9月 生。何をおいても一番は『悪名』シリーズだろう。八尾の浅吉とモートルの貞。切れときっぷの河内弁。 けど、上野は書く。 ‥‥あれは十年ぐらい前のことだったか、『悪名』シリーズを数本見直したことがある。そのとき強く思ったのは…

黄昏‥‥⑧

⑧は川島雄三 1918(T7)年2月 生。 一九三八年に松竹大船撮影所に入り、そこで二十四本の映画を撮るが、一九五四年には日活に移る。そこで九本の映画を撮ったあと。五八年には東京映画に移る。そして東宝系で十五本を撮るかたわら、大映で三本の映画を撮るのだ…

黄昏‥‥⑦

⑦は加藤泰 1916(T5)年8月 生。 上野昂志は本の刊行を記念したトークショーで山根貞男と語っている。 以下、『スマ(id:namarukarada)さんのはてなブログ「私の中の見えない炎 おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティスファクトリー」上野…

黄昏‥‥⑥

⑥は山中貞雄 1909(M42)年11月 生。山中について上野が書いた文章は少ない。 山中貞雄の映画を思い出そうとすると、まず最初に、声が聞こえてくる。何とも伸びやかで上品なセリフ回しが、‥‥ 山中の映画で真っ先に甦ってくるのは、そこに出てくる役者たちの喋…

黄昏‥‥⑤

⑤はマキノ雅弘 1908(M41)年2月 生。「本名 牧野正唯 まきのまさただ。生まれながらの活動屋.。わかっているだけで生涯に261本の映画を撮った。正唯→正博→雅弘→雅裕→雅広 と名前を変え、脚本書きのペンネームも マキノ陶六 (まきのすえろく)牧陶六 牧野正雄…

黄昏‥‥④

④は成瀬巳喜男 1904(M37)年8月 生。 成瀬は戦前から押しも押されもせぬ大監督だった。戦後1955年に撮った『浮雲』は最高傑作として世評に高いことはご存知の通りだ。その成瀬がどんな経緯・いきさつがあったのか、川島雄三との共同監督で1960年『夜の流れ』…

黄昏‥‥③

③は 小津安二郎 1903(M36)年12月 生。1957年の映画『東京暮色』(1957 松竹大船) わたしは、小津の戦後作品のなかで、『東京暮色』が一番好きだが、一九五七年の公開時は、非常に評判が悪く、失敗作と言われた。 『東京暮色』は、たんなる家族の崩壊に伴う…

黄昏‥‥②

②は清水宏 1903(M36)年3月 生。松竹大船時代の一本『簪(かんざし)』1941年 『簪』の冒頭の、田中絹代と川崎弘子が、身延山の山道を登ってくるところをカメラがトラック・バックしながら撮る場面を評して、山田宏一が、まるでヌーヴェル・ヴァーグのようだ…

黄昏‥‥①

①は伊藤大輔 1898(M31)年10月 生。GHQによる占領下、チャンバラ(剣戟)が禁止されている制約の中での戦後第一作の時代劇『素浪人罷通る』1947(S22)年、伊藤47歳。 刀によるチャンチャンバラバラのないチャンバラ映画を伊藤はどう作ったのか‥上野は書く。 冒…

「第四の男」

「これは、国書刊行会の樽本周馬の本である。」 上野昂志の本『黄昏映画館 わが日本映画誌』のあとがきはこうはじまる。そうだった。文章を書いたのは上野だが、散在する文章を探し出し、取捨選択して全体構成を考え、編集・校正から仕上げまでを担うには編…

本『黄昏映画館 わが日本映画誌』

上野昂志 著『黄昏映画館 わが日本映画誌 』を読み始めた。【2022.6.25. 国書刊行会 刊】九八四頁 七千七百円。 伊藤大輔から濱口竜介まで四五名の監督名が並ぶ。ただしご本人の「あとがき」にはこうある。 「監督論ではない。それに近いものもあるが、本人…

『浮草』と『浮草物語』

井上雅雄 著『企業経営史からたどる戦後日本映画史』【2022.09.22. 新曜社 刊】からもうひとつ。 井上経済学博士が、経営体としての映画会社解明の中心に据えたのは「大映」だった。「はじめに」から引く。 「‥‥看過してはならないのは、これら一流の監督た…

本『企業経営史からたどる戦後日本映画史』

井上雅雄 著『企業経営史からたどる戦後日本映画史』【2022.09.22. 新曜社 刊】を読んでいる。 1945年生まれの経済学博士が、財務諸表などの経営指標を引きながら、企業体としての映画会社・映画産業を読み解いた本だ。「はじめに」にこうある。 「これまで…

スプリンターしかいなくなっちゃった

ごくごくたまにだが、良くできたテレビCMやMTVに出会う。具体例は挙げないが、30秒や60秒わずか数分で人情の機微や葛藤を切り取ったり、見事な短編人生ドラマを切れ味鋭く見せてくれる。じゃあ そんな彼らが長編劇映画をつくるとどうなるか。大概 失敗する。…

3T× WCC

3Tとは Tastes Technoligy Trends 人柄 技能 流行 を指す WCC とは 1スジ 2ヌケ 3ドウサ の言い換え Writer Camera Cast のこと 映画はこれらの掛け合わせで成否が分かれる。いずれかが欠けたり、足りなかったりすると上手くいかない。さらにいうなら、…

JLGインタビュー「映画は死のうとしている、映画万歳!」

今日は昔話を少々。1989年12月EURIKA臨時増刊 ダニエール・エイマンがJ-L・ゴダール(以下 JLG)にインタビューした記事「映画は死のうとしている、映画万歳!」(訳・構成 奥村昭夫)。発売当初むさぼるように読んだ。スコブル面白くって線を引きながら何…