2ペンスの希望

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黄昏‥‥④

④は成瀬巳喜男 1904(M37)年8月 生。

成瀬は戦前から押しも押されもせぬ大監督だった。戦後1955年に撮った『浮雲』は最高傑作として世評に高いことはご存知の通りだ。その成瀬がどんな経緯・いきさつがあったのか、川島雄三との共同監督で1960年『夜の流れ』をつくる。

淀川長治さんは「成瀬巳喜男というようなのれんの古い大旦那が、ショッピングセンターの若旦那のような川島雄三と組んで」と書いた。キネマ旬報一九六〇年八月上旬号)どうやら公開当時の評価は芳しいものではなかったようだ。

上野昂志は書く。

いまさらながら思うのは、映画ジャーナリズムにおける評価が、まず何よりも「新しさ」ということに価値の基軸を置いているということである。新しい題材や新しいテーマ、あるいは新しい才能や新しい表現といったことが、常にまず最初に求められ、評価されるのだ。もちろん、これは映画に限らず商業的なジャーナリズムの宿命というべき姿勢だろうが、そのことが、すでに戦前において名声を確立した成瀬巳喜男のような大家に対しては、ことさらマイナスに作用するのである。

大家であることは自明視されながら、まさにそれゆえに、その作品の具体的なありようは、なかば括弧に括られて祭り捨てられていたのである。

そこで等閑に付されていたのは何か。映画である。

映画というメディアそのものにワクワクするような感動や期待を抱いて大した一九二〇年代、三〇年代の批評の初心が自動化し、代わって戦後的な時代意識や社会意識が前面に出てきたために、映画はなかば忘れられたのである。成瀬の映画としての力を探る試みはなされなかった。

成瀬の存在が改めて視野に入ってくるのは、早く見ても七〇年代半ば頃からである。現在の成瀬について語られる言葉は、かつてとは比較にならぬほど豊かではあるが、忘れてならないのは、それが作家成瀬を自明化し、映画を自明化するならば、そこでの批評もまたいずれ好事家(おたく⁉)的なものいいに堕してしまうであろう。(2005年8月-9月「NFCニューズレター」第62号)(太字強調は引用者)

「自明視(自明化)して祭り捨てないこと」「祝詞化して拝跪しないこと」

映画がいつも〈汲めども尽きせぬ泉〉であることを忘れずに、ずっと もっと 楽しみ続けたい。