2ペンスの希望

映画言論活動中です

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

札幌映像機材博物館その1

「札幌映像機材博物館」は、私設・個人運営、「入場無料の」「日本で唯一の」『映像機材の総合博物館』だ。 もともとは登別にあったが2022年6月に札幌に引越しした。35㎜のフィルムカメラから16㎜、8mm‥2吋1吋のアナログVTRやシブサン(3/4吋Uマチックカセ…

夏葉社 島田潤一郎さんの本:続き

島田さんのこんな言葉にも打たれた。撃たれた。 「経験からぼくは知っている。音楽がつまらなくなったという人たちは、音楽をもう聴いていない人たちなのである。その意味で、本が読まれなくなったという人たちは、もう本を読んでいない人たちであり、本屋さ…

夏葉社 島田潤一郎さんの本

島田潤一郎さんの本『あしたから出版社』【2014年6月 晶文社刊の単行本を2022年6月にちくま文庫化】を読んだ。島田さんは2009年9月 33歳の時に東京吉祥寺のマンションを借り、資本金300万円で株式会社夏葉社というひとり出版社を始めた。 青筋立てて肩をいか…

ふや町映画タウン祝祝!30周年

ふや町映画タウンとオーモリ店主さんには「映画千本ノック」を一緒にやろうと誘っている。「千本ノック」については過去に書いている。⇒ kobe-yama.hatenablog.com kobe-yama.hatenablog.com 言わずもがなだが、ノックは「扉叩き」、千本ノックは「守備練習…

ふや町映画タウン祝!20周年

永く付き合い、お世話になってきた京都の「ふや町映画タウン」で《祝20周年》大々大キャンペーンが始まっていることを知った。 「ふや町映画タウン」と「オーモリ店主さん」のことは当ブログの開始直後から何度も何度も書いてきた。心ある方はこれを機に是非…

黄昏‥‥ファイナル & エンドレス

『黄昏映画館』には生年順に45人の監督の映画が並んでいる。さらに後尾には、安原顕が編集していたリテール別冊③ 『映画の魅惑』(1993年 メタローグ刊)に上野が寄せた文章「日本映画ベスト50――映画状況の変化に独断も偏見もままならず選んだベスト」も載っ…

黄昏‥‥㊵

㊵は濱口竜介 1978(S53)年12月生。 (本では諏訪敦彦のあと「青山真治」と「豊田利晃」「大森立嗣」「横浜聡子」が取り上げられているのだが、残念ながら管理人は四人の映画をまともに観ていないので割愛。上野『黄昏映画館』には45人の監督が生年順に並ぶが…

黄昏‥‥㊴

㊴は諏訪敦彦 1960(S35)年5月生。 「デビュー作には、その作家のすべてが詰まっている」という言葉を必ずしも信奉するわけでもないが、諏訪映画は第一作『2/デュオ』(1997) に尽きている。 最新作『風の電話』(2020年)を見て改めてそう思った。監督として…

黄昏‥‥㊳

㊳は瀬々敬久 1960(S35)年5月 生。 学生時代16mmで『ギャングよ、向こうは晴れているか』(1985年)を作り、4年後 それを翻案したピンク映画『課外授業 暴行』(1989年 製作:国映 原題『羽田へ行ってみろ、そこには海賊になったガキどもが今やと出発を待ってい…

黄昏‥‥㊲

㊲は阪本順治 1958(S33)年10月 生。 この二、三年、日本映画は、新人監督のラッシュだ。次から次へと、それこそ雨後の筍みたいに生えて、いや、出てくるのであるが、出来はあまりよくない。春先の筍のように新鮮な味もなければ、将来、何億もの現金の置き場…

黄昏‥‥㊱

㊱は佐藤真 1957(S32)9月 生。2007年9月他界。享年50。 「映画、その奇跡的時間 ――『阿賀に生きる』」はこんな気合の入った文章から始まる。 この世には、絶対に映画によってしか見ることのできない顔というものがある。たとえば、小川紳介の映画における三…

黄昏‥‥㉟

㉟は山本政志 1956(S31)年1月 生。 『てなもんやコネクション』(1990年) 一本しか見ていないので大したことは書けない。上野の文章も『アトランタ・ブギ』(1996年)の劇場用パンフレットに書いた一本だけだ。 山本政志映画には、終始一貫、無国籍 出鱈目 篦棒…

黄昏‥‥㉞

㉞は黒沢清 1955(S30)年7月 生。 上野は、初期の『地獄の警備員』(1992年) を採り上げ、 「細部の演出ぶり」を認め、「日常的なリアルさと、荒唐無稽な虚構性」「からっぽの無意味さのなかから、一つの虚構を作りあげた」(=映画?)と讃えている。(「ガロ…

黄昏‥‥㉝

㉝は井筒和幸 1952(S27)年12月 生。 出世作は何といっても『ガキ帝国』(1981年 製作:プレイガイドジャーナル社+日本ATG 配給:日本ATG キネマ旬報 第7位)だろう。 もちろん 上野は逸早く評価している。その一方、返す刀で小栗康平『泥の河』(1981年 製作…

黄昏‥‥㉜

㉜は原 將人 (本名:原 正孝)1950(S25)年7月 生。 日本映画監督協会の現会員である。 とはいえ、商業映画との関わりは1970年大島渚監督作『東京戦争戦後秘話』の脚本を佐々木守と一緒に書くクレジットされたのと、1993年広末涼子の映画デビュー作『20世紀ノ…

黄昏‥‥㉛

㉛は崔洋一 1949(S24年)年7月 生。 映画第一作は『十階のモスキート』1983年。そのことを振り返りながら上野は書いている。 十年前にわたしなどがこの新人監督に瞠目したのも物語の克明な描写力が映画的な力となっているその新人離れしたバランスの良さにお…

黄昏‥‥㉚

㉚は相米慎二 1948(S23)年1月 生。 相米については当ブログでも何度となく書いてきた。上野も何本も書いている。 なかでピカイチなのを ひとつ ふたつ。 ❶ 人は、相米慎二といえば即座に長廻しと応える。ほら『ションベン・ライダー』(一九八三年)巻頭の、…

黄昏‥‥㉙

㉙は飯塚俊男 1947(S22)年9月 生。 上野は『土と木の王国 青森県三内丸山遺跡'94』(1995年)『青森県縄文文化 一万年王国 』(1996年) 『縄文うるしの世界 青森三内丸山遺跡'98』(1999年)の「縄文三部作」について書いている。 そのどれも未見なので、管理人に…

黄昏‥‥㉘

㉘は北野武 1947(S22)年1月 生。 「主演・監督から、それに加えて脚本、さらに編集というように、映画へのコミットを深めて」(キネマ旬報社『フィルムメーカーズ2 北野武』1998年)これまで撮った映画は、18本。兼脚本のクレジットは1990年公開の二作目『3-…

黄昏‥‥㉗

㉗は荒戸源次郎 1946(S21)年10月 生。 荒戸源次郎とくれば、何といっても"産直映画方式"の提唱・実践者としての印象が深い。監督やプロデューサーとしての仕事よりずっと意義が大きい。そう思っている。 「産地直送映画」自分たちで作った映画を、自前で建て…

黄昏‥‥㉖

㉖は長谷川和彦 1946(S21)年1月 生。 のっけからなんだが、長谷川和彦は映画界随一、ダントツの怠け者だと思っている。半世紀以上も映画界に居ながら、ご承知の通り 二本しか映画を撮っていない。 第一作『青春の殺人者』(1976年 製作:今村プロ+綜映社+ATG…

黄昏‥‥㉕

㉕は柳町光男 1945(S20)年11月 生。 柳町は東映教育映画の契約助監督として出発し、ドキュメンタリーと劇映画を往還して映画を作ってきた。 『ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR』(1976年) 【制作:プロダクション群狼 制作費:500万円 配給:東映 16mm→…

黄昏‥‥㉔

㉔は原一男 1945(S20)年6月 生。 原一男といえば、この一本『ゆきゆきて、神軍』(1987年) に尽きる。 かつて、尾辻克彦が「プッツン物件」と呼び、小林信彦が「ハードボイルド的主人公による謎解き映画」と指摘した映画である。 ファンが多く、時を経て何度…

黄昏‥‥㉓

㉓は布川徹郎 1942(S17)年8月 生。NDU(日本 ドキュメンタリスト ユニオン)の一員。 やはりNDUのNDUたる所以は、『モトシンカカランヌー』(1971年) どのようなスタンスで、「復帰」前夜の沖縄社会を撮るのかが問われるが、NDUの出した答えは、「モトシンカ…

黄昏‥‥㉒

㉒は澤井信一郎 1938(S12)年8月 生。 (実は 本ではもうひとり日活ロマンポルノの小沼勝も取り上げられているのだが、残念ながら管理人は小沼映画を一本も観ていないので割愛。) 「娯楽映画の王道を歩んできたマキノ雅裕の弟子」で「最後の生粋の撮影所育ち…

黄昏‥‥㉑

㉑は曽根中生 1937(S12)年10月 生。 『天使のはらわた 赤い教室』(1979年 日活調布)石井隆の劇画が原作の映画だ。 劇画の名美が、劇画的空間を生きてこそのあのような女であるのに対して、映画の彼女は、映画的空間を生きなければならないのである。それは…

黄昏‥‥⑳

⑳は三村晴彦 1937(S12)年4月 生。 映画『天城越え』(1983年 霧プロ+松竹) よほど気に入ったのかどうか、手放しで褒めている。 確かに、上野が言うとおり「丁寧で正攻法のつくりである」ことは確かだが、拙管理人には、それ以上に「田中裕子の出世作」との記…

黄昏‥‥⑲

⑲は吉田喜重 1933(S6)年2月 生。 劇映画に限らず、ドキュメンタリー映画やTV番組、『BIG-1物語 王貞治』から頓挫したメキシコ合作映画まで幅広く取り上げている。 今日は、上野昂志がプロデューサーを務めた唯一の映画『戒厳令』についての一文から、つまみ…