2ペンスの希望

映画言論活動中です

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

a ‥‥

言葉遊びは嫌いじゃない。 若い人からはお寒いオヤジギャグ・いい加減にしたらとたしなめられるが、止まない。 今日は、机の中から見つけたメモを切り貼り。 定冠詞The ではなく、不定冠詞(不逞・不貞・太ぇ)冠詞 a/an のススメ。 a 北斎 a 監督 a 勘兵衛 a 異…

仕方 が ない ?

最近の日本映画には「完成(公開)前に動員が期待できる映画」か「完成(公開)前に収支決算が終わっている映画」しか見当たらない。誰も観客のことなんて構っちゃいない。眼中にない。 規模の大小、事業(ビジネス)方針を問わず、公開前にあらかたの勝負はついてい…

3+1:覗く

更に更に春日・本から。 マキノ光雄の三要素「泣く・笑う・(手に汗)握る」だけでは通じなくなったとして、1960年代岡田茂は新時代の嗜好に応えるべく、もう一つ「覗く」を加えた、とあった。 かくて、東映京都流大衆娯楽映画は、 泣く・笑う・(手に汗)…

擬音で

今日も春日本『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』からのエピソード。 「ト書」について。 脚本で情景や人物の行動を書く箇所(台詞以外の全て)を「ト書き」と呼ぶのだが、ここで細かいニュアンスを脚本家が伝えようとする場合、たとえば他社では、 「老いさ…

「僕はかまへんけど‥」

昨日に続いて、春日太一さんの本『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 正直言って文章力は今ひとつだが、エピソードは面白い。 脚本の書き直し書き直しでなかなか前に進まない状況に業を煮やしたプロデューサーが一言「これでやろう。ワシはこのホンでいい…

泣く・笑う・握る

1977年生まれの時代劇研究家・春日太一さんの本『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』【2013年11月文藝春秋刊】にマキノ光雄の言葉が載っていた。 東映大衆娯楽時代劇のドラマツルギー。 「脚本には泣く・笑う・(手に汗)握るの三要素を入れろ。それさえでき…

他山之石

ハードルがどんどん下がっている。 取るに足りない些細な差異も含め、あらゆる差異が商品化の契機になる、そんな時代になっている。どんなものでも商品(=作品?)に成り得る時代。雲と泥、月とすっぽん、提灯に釣鐘、下駄に焼き味噌、味噌も糞も一緒くた、‥…

「何でもあり」 だが

好み、好き嫌いは別にして、参った・恐れ入りました、とシャッポを脱がされてしまう映画が確かにある。自分には合わないけれどスゴイ、敬して遠ざけるだけだが。 そう考えていくと、やはり、映画は「何でもあり」「やったもん勝ち」という話になってくる。と…

わが儘な映画 アナーキーな映画

佐藤真さんが書いた野田真吉論を再読した。 『ドキュメンタリー映画の地平』下巻【2001年1月凱風社刊】刊行直後に買って読んでいたのに、中身はすっかり忘れていた。十数年ぶりの読み直し。記録映画の先達・野田真吉さんの「民俗神事芸能三部作」を、「意義を押…

やっぱり福本豊さんは素晴らしい

野球解説の福本豊さんはやっぱり素晴らしい。 数日前のラジオでこんなことを話していた。「 練習はいつでもどこでも出来る。試合中でも、ベンチでも。例えば外野手。守備範囲の捕球だけやってるのではもったいない。現役時代には、すべての打球音を聞き分け…

稼ぎと仕事

昨日に続いて、山里の哲学者・内山節さんの言葉。「稼ぎ」と「仕事」について。 「最初はその使い分けが分からなかった。村人が「仕事に行ってくる」「稼ぎに行ってくる」と言うんだけど、同じことだと思っていた。ところがあるとき村の知人が「仕事に行ってくる」と言…

作法=form

内山節さんに「作法」という言葉があることを知った。【『哲学者内山節の世界』:2014年8月『かがり火』編集委員会編 新評論刊】 長く群馬県上野村に住み、山里の哲学者として知られる人物だ。 「僕(内山)は自然のことはよく知らないのに、圧倒的に話は僕のほう…

世界観=哲学

ハッキリいって、テーマやメッセージはどうでもいい。二の次三の次。主義・主張は映画の必要条件ではない。あってもいいが、なくてもいい。何でもいい。自由だ。 けど、世界観=哲学は欲しい。メッセージやテーマより世界観。 この世界がどう見えていて、その…

オンリーワンの陥穽

かつては競争があった。 いつ頃からか、競争はいけないことになったしまった。「あなたと私は違う」、「私は私」 みんな違ってみんなイイ。上下はダメ、競争は間違い。競争はしない方がいい、ってか。 今や誰もが発信して“オンリーワン”でいられる時代になった…

極め付き

あの映画のあのシーンのあのカット。そんな極め付きカットを100並べた画像。 キラーショットとかキラーカットともいわれる。 今日は、題名付きと題名無し お好きな方でどうぞ。

ストーリーテラーとダイアローグライター

行ったことがないので知らないが、ハリウッドではストーリーテラーとダイアローグライターは別のお仕事だということだ。お話の転がし方の巧みと、自然な会話・台詞のやり取りでは使う筋肉が違うという認識だろうか。正しい。 大工さんにも、骨組み・構造を受け…

BAFICE

今日は写真三点。 BAFICI (ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭)の様子 ©FestivalesGCBA いずれも、BAFICE ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭第15回(2013年 4月開催)のもの。10日間の開催期間中に公式発表で43万人が参加…

『象ハ鼻ガ長イ』

三上章をご存知だろうか。半世紀以上前、日本語にはそもそも主語などないと「主語無用論」を唱えた日本語学者だ。主著は『象ハ鼻ガ長イ』【1960年 くろしお出版】。 日本語「象ハ」のハは、実は主語ではなく、主題(トピック)を表す言葉、「鼻ガ」のガも、…

『高峰秀子の言葉』

斎藤明美さんが書いた『高峰秀子の言葉』を読んだ。【新潮社 平成二十六年一月三十日 刊】斎藤さんは、元週刊文春の編集記者。五十歳を過ぎた二〇〇九年松山善三・高峰秀子の養女となった。高峰の最晩年に伴走し、善三の世話を任される信頼を得た人だ。「わか…

165万人

松谷創一郎さんという未知のライター・リサーチャーさんが、日本の映画館人口について調査しているのをWebで読んだ。 彼の調査によれば、日本の映画館人口を支えているのは、165万人のヘビーユーザーということだ。彼らは月に1回以上 年に平均28回映画館に行…

「ルールはない、自由だ」

「分(ぶ・ぶん)」とか「実(じつ)」とか「雑(ざつ)」とか 書いてみたい映画の成分はまだ幾つかある。けど、一旦休止。「文学は、言葉を通じて読者の想像力をある像へと導くが、映画の場合は道筋が逆。 まずはじめに具体像の提示があり、その具体像をよ…

体(てい)

映画の組成・成分その4に挙げるのは、「体(てい)」。 体(てい)をなすの体である。 体をなしていないものを見せられるのは、かなわない。醜い。ご当人たちは頑張っているつもりかもしれないが、見た目気にせずなりふり構わずでは、不味い。いただけない。…

場・現場・臨場

映画の組成・成分その3は、「場」について。 場。映画の現場。現場がすべて。 映画は、結局「目の前の物を映すこと」なのだ。 現場に調達されたもの・用意されたもので勝負するしかない。 ないものは映せない。 あるもので作る。 そう思ってやってきた。 つまり…

距離

映画は距離だ。そう思う。 見ることは、何がしかの距離を置くことに他ならない。空間も時間も‥、 ときに遠く、ときに近く‥。 見ることと見られること。向う側とこちら側。彼岸と此岸。その隔たりは決定的だ。 映画館で臨場感に包まれながらもスクリーン(モニ…

切(せつ)

映画の成分・要素・組成について考えている。 昨日浮かんだ、「切(せつ)」は、そのひとつのつもり。 切(せつ)とは、切実であり、大切。やむにやまれなぬ想い、のっぴきならない事情。 切(せつ)‥切実 切迫 切羽 切々 切望 切願 切に願う、 大切 哀切 痛…

何をいまさら

映画の善し悪し、落差ってなんだろう、と考えている。 何をいまさら、と言われそうだが、人は何故映画を見るのだろう。 何十年も見てきて今も映画を見るといつも、何がしか共感できるものを探している。 登場人物のあれこれなり、物語の世界観なり、作り手の…

余計と余白

立て続けに二本、邦画を観た。といってもDVD鑑賞だが。 いやぁ、出来の差が酷かった。(例によって、題名は伏せる。) 一本は、自身の戦争体験を元にした超ベテラン監督の反戦映画。 2011年国内の映画賞を総なめした「話題作」。 もう一本は、続々映画化…

本物以上

昨日の続き。【『こども映画教室のすすめ』2014年5月 春秋社刊より】 羽仁進の発言をふまえた是枝裕和のかえし。 「(隠し撮りで)カメラを意識していない姿が撮れることよりも、(そこにカメラがいることで)引き出されるものの方が実はすごく大切だという感…

イメージが外へ出てゆく瞬間

『こども映画教室のすすめ』という本を読んだ。【2014年5月 春秋社刊】 はっきり申し上げて、大半は「幼稚」な内容だった。(幼稚だからダメだ、と言ってるわけじゃない。子供たちに「映画」を教えていくためには、「幼稚園」も必要なのだろうから。 けど、曲がり…