2ペンスの希望

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『象ハ鼻ガ長イ』

三上章をご存知だろうか。半世紀以上前、日本語にはそもそも主語などないと「主語無用論」を唱えた日本語学者だ。主著は『象ハ鼻ガ長イ』【1960年 くろしお出版】。
日本語「象ハ」のハは、実は主語ではなく、主題(トピック)を表す言葉、「鼻ガ」のガも、主語ではなく、主格補語だというのが三上文法だ。 初版本の表紙が洒落ている。
「ハ」を真ん中で二つに割り、「ノ」と「、(読点:コンマ)」に分けてある。
なぜ「ノ」と「、」に分けるのかと言えば、文法上の意味は「象ノ鼻」であり、「ハ」の機能は、「象、鼻」と読点(コンマ)で文を切ることだからという三上文法の主張を端的に表現しているのだ。
こういう表紙デザインを、振るってるという。嫌いじゃない。
(三上文法は、外国人の日本語習得の現場では重宝されている。実践的だからだ。ただ、「街の語学者」であったため、国語学会や学校文法とは折り合わない。「日本語は、主語が省略されることが多い」とまでは言えても 「省略されるのではない。そもそも日本語には主語はないのだ」とまでいう
三上の主張は過激すぎた。)
この表紙の話、実は最近知った。金谷武洋さんの『主語を殺した男 評伝三上章』【講談社2006年12月刊】。どの世界にも、狭隘な業界事情がはびこっている。ただ暁光もある。1944年に設立された国語学会は、2004年日本語学会に改称していた。内部討論を経て、「現在の日本語研究は多くの場合国家の存在を前提としたものではない」という結論を得たようだ。これもごく最近知った。知らないところで地殻変動は起きている。管理人も「映画の世界の地殻変動と露出を支えたい」といえばしょってるといわれるだけなので已めておく。