2ペンスの希望

映画言論活動中です

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

窓、鏡、そして皮膚。

今更だが、映画は世界を知る「窓」であり自分を知る「鏡」である。このことは何度か書いてきたが、最近になって、いや待てよ、それよりなにより、映画は「皮膚」でもあるんじゃないか、そんな思いが浮かぶ。 何よりかにより、映画は、頭や目や耳だけでなく全…

屯・塒・座

何と読むか ご存知だろうか。 屯=たむろ、塒=とぐろ、座はご承知の通り=ざ。 「屯=たむろ」は、「仲間や同じ職業の人々などが寄り集まっていること」という意味の言葉だ。新撰組の壬生屯所、屯田兵、駐屯地・駐屯所など、いずれも兵士達が日頃集って「た…

こんな人がこんな映画を

意外な人が意外な映画を好きだと言ってるのを知るとなんだか嬉しい。つとに映画好きで知られる落合博満は、著書『戦士の休息』(©ロジェ・バディム⁈)で、好きな映画は「マイ・フェア・レディ」「ロミオとジュリエット」「黒部の太陽」「男はつらいよ」シリー…

単独歩行・映画=本

やっと届いたので、パラパラ読んでいる。上島春彦著『鈴木清順論 影なき声、声なき影』【2020年9月25日 作品社 刊】 B5判 691頁 定価10,000円+消費税10%=11,000円。 一年ほど前に『映画監督・神代辰巳』【2019年10月25日 国書刊行会 刊】のことを書いた。…

背反有理 2021 如月 その三

まだまだしつこく背反有理コレクションは続く。 21世紀の社会は、多様化している一方で画一化している部分はおそろしく窮屈になっている。 (小田嶋隆『ア・ピース・オブ・警句』2020年9月11日 「うっかりマスクを忘れた人は「加害者」か」 ) 隣り合わせの…

背反有理 2021 如月 その二

引き続き、背反有理2021冬コレクション 続き ↓ 「文芸の世界には只一つの正解など絶対にない」 (古舘曹人『句会入門』から アヤフヤにして、クッキリ ハッキリ メイハク アリアリ マザマザ ‥ ) 「息をしながら 窒息してる感じで 死にはしないまでも 生きて…

背反有理 2021 如月 その一

暫らくぶりに「背反有理」その後のコレクションを陳列してみる。 本気でふざける! (橋本治さんの落語世界文学全集『おいぼれハムレット』河出書房新社広告文案から) 知れば知るほど 無知を知る (2019年7月8日阪急電車神戸線の車中で見かけた大谷大…

ただごと こそ ただごとじゃない

砂子屋書房の現代短歌文庫54『奥村晃作歌集』に 「ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く」という作がある。 文学の世界では"ただごと"俳句は貶められ、"ただごと"短歌は評価されるという傾向があるようだ。角川学芸出版『俳文…

「心で作って心を消す」

俳句は物や風景をよく観察して、そのありさまを絵のように十七文字の中に写し取る文芸だと言われる。いわゆる〈写生〉その手法を確立したのは正岡子規だというのが定説らしいが、なに、芭蕉翁の有名な句「五月雨をあつめて早し最上川」だって、どうしてどう…

行司千絵『服のはなし』

気持ちの良い本を読んだ。行司千絵さんの『服のはなし 着たり、縫ったり、考えたり』【2020年12月 岩波書店 刊】「ものごころついたときから、服が好きだった」著者が 地方紙記者勤めの合い間に服づくりを始め、 「わたしと母の服のかたわら、友人や知人の服…

ジャケ買い 復活祈願

昔は情報がなかった。いつ頃かって? ぴあもプガジャも生まれる前だ。何?二つともご存知ない! まぁそれほどの大昔ってことです。当時は、映画はタイトルとポスターからどんな映画かを推測してみるしかなかった。いわば全部「ジャケ買い」だった。何?ジャ…

大阪松竹座 手塚治虫 『海の神兵』

YouTubeを散策していたら、こんなのを見つけた。「1985年頃の大阪道頓堀・松竹座の前で40年前に観た「桃太郎・海の神兵」について語る手塚治虫さん。」 手塚治虫「桃太郎・海の神兵」を松竹座前で語る (YouTubeのサイトに行かなければ見られない設定…

ヴァルター・ベンヤミン

数少ない当ブログの読者から私信メールを頂戴した。 「アンタが昨日書いた「映画は空間芸術である」1936年頃とっくにヴァルター・ベンヤミンが書いてるよ」と教えてくれた。 本棚から引っ張り出して読み直してみた。 「映画を「奴隷のためのひまつぶし」と嫌…

映画は「空間芸術」である

永らく映画は「視覚芸術」だとされてきた。ヴィジュアル・アート。はたしてそうなのだろうか。いや、そうではなく むしろ「空間芸術」の一種なのではないかーそんな思いに囚われている。 映画は、外から眺める「視覚芸術」ではなく、内側に入って体感・体験…

求む 構造家

建築の世界には、意匠・外観のデザインを担当する「建築家」とともに、その建築を支える骨組みをデザインするエンジニア=「構造家」がいる。「構造家とは、建物がそれ自体の重さで潰れたり、あるいは地震・台風などの災害で壊れてしまうことがないよう、安…

JLG7 NOW

最新インタビュー/ジャン=リュック・ゴダール 監督 /ヌーヴェルヴァーグの伝説 2020年3月 コロナ以降 JLG 1930年生まれゆえ、御歳90歳 卒寿。 (頭とお尻の女性はうっとおしいけれど=ゴメンナサイ、インタビューはそれなりに興味深い内容なので)お…

JLG6 ANNA

Anna Karina's Closet Picks Criterion Collectionで見つけたアンナ・カリーナの最近のお姿。 ノーコメント。

JLG5

Pierrot Le Fou - Trailer 京都朝日会館だったか、美松劇場だったか、その後は祇園会館で、繰り返し観た。美術と文学、ラストのランボーにもシビレタ。浜辺のスタンドでビールを二杯注文するベルモンドに給仕娘が「何故二杯?」と尋ね、ベルモンドが「一杯飲…

JLG4

【予告】軽蔑 配給会社からフィルムを借りてきて大学の講堂で何度も何度も上映して稼いだ思い出の映画。邦画は大島渚の『日本春歌考』、洋画は『軽蔑』‥裸・エロチックシーンに惹かれて学生が集まり、どちらも毎回大入り満員だった。

JLG3

映画『女と男のいる舗道』予告編 ジャン=リュック・ゴダール これで完全に、アンナ・カリーナにイカれた。きっと当時生意気盛りの多くの青年達がそうだった筈だ。大阪ミナミの劇場に通い、館主さんに断って上映後のポスターを貰って帰り部屋の壁に貼って喜ん…

JLG2

Une femme est une femme - Trailer 「世界の映画史はゴダール以前とゴダール以後に区分される」とどなたかが言っていたが、いささか大げさすぎる。もっと下世話で下衆な私的ゴダール同時代史を少々 シリーズで。 最初の記憶は、雑誌『映画の友』だったか『…

JLG

たまに鼻についたり、時には目に余ることもあるが、あの頃(ってどの頃か?って‥『中国女』あたりまでのことサ)のJ.L.ゴダールの「お遊び」は嫌いじゃない。ということで、今日は『男性女性』のエンディング。 児戯が過ぎるが、映画は映画である。やりた…

映画の丸かじり

映画は丸かじりしたいものだ。 加藤泰監督じゃないけれど「骨までしゃぶる」すみからすみまで、捨てるものなく、すべて味わう。味わい尽くす。骨も身も皮も皿・包装紙まで。 何を隠そう、当ブログ お手本の一つは東海林さだお大先生の「丸かじり」シリーズな…

省略こそ

いまさら目くじら立てて云々するのもおこがましいが、そもそも映画は、"省略の技法"で見せるもの(魅せるもの)、"省略"の妙が魅力だった筈だ。 言わずもがな、見せずもがな、みなまで言うな、以心伝心、言わずとも分かる・分かりあえる、言わぬが花、きくだ…

DID

〈闇〉に包まれて肌で感じる‥ということで、今日は「Dialog In the Dark ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の紹介。 何はともあれ、HPを見て貰うのが手っ取り早い。 did.dialogue.or.jp 「暗闇での体験を通して、人と人とのかかわりや対話の大切さ、五感の…

肌で感じる 湯浴み 忘我・脱自

映画は「肌で感じる」ものである。 少なくとも私が長く接し愛好してきた映画はそうだ。決して目や耳で見たり聞いたりするだけのものじゃない。全身で、五感(五官)を総動員してひたり味わうものだ。今更だが、映画館はそのための装置・箱である。 闇に包まれ…

独断真正映画人定義

世の中には、日本人や宇宙人と同じように映画人という人士が居る。背中に「映画命」の刺青を背負い、体のどこを斬っても映画の血が流れだす人物が‥。職業・貴賎は問わない。氏素性も関係なし。別名:真正映画中毒患者とも呼ばれもするが‥‥、監督や職能スタッ…

対談本 出がらし(あこぎ 名観客)

何がしか派生的・副次的に生まれる生産物を、最近は"スピンオフ"とか"スピンアウト"と呼ぶらしいが、なにそんなハイカラなもんじゃない。今日は、せいぜい、はみ出し・出がらし 程度のお目汚し・御機嫌伺い。 対談本『泣き笑い 映画とジャズの極道日記』に中…