気持ちの良い本を読んだ。行司千絵さんの『服のはなし 着たり、縫ったり、考えたり』【2020年12月 岩波書店 刊】「ものごころついたときから、服が好きだった」著者が
地方紙記者勤めの合い間に服づくりを始め、
「わたしと母の服のかたわら、友人や知人の服を週末に縫った。気がつけば、二十年ほどの間で三歳から九一歳までの八〇人に、二九〇着をつくった。」その思いのあれこれを綴った一冊。身の丈に合わせて背伸びしない普段着の文章はふくよかであたたかい。
さわりを幾つか‥‥
「布代+中学生のお小遣い程度のお駄賃をいただけているが、お駄賃の塩梅は今も迷う」そこで 経済学者の浜矩子さんからヒントを得たり、お店で売りませんかとバイヤーがやってきたり、コロナで閉店したお店を通じて自らの勇気や覚悟について考えた章「洋裁はアートか、仕事か、道楽か」←洋裁を映画に置き換えて考え直してみたくなった。「映画はアートか、仕事か、道楽か」
「変化し、かたどり、はぐくむ服」の章。
「このところ、ファッションを楽しめません。なぜでしょうか?ファッションに詳しい人に会うたびに、わたしはおなじ質問をした。匿名を条件にはなしてくれたある人の言葉が忘れられない。
「似たような服ばかり売られているのは、ある服がヒットすると、ほかのアパレルが次々にまねて売るからです」
アパレルにはデザイナーがいて、オリジナルの服をつくっているはずだ。まねすることにためらいや恥ずかしさはないのだろうか。疑問をぶつけると、その人はいった。
「そんなデザイナーはごくわずかしかいません。流行って、おなじようなデザインの服を着た人が街にあふれることなんです。とにかく売れたらいいと考えているアパレルは多いですよ」
どこの世界も似たり寄ったりだ。映画の世界でも同じような話は大昔からある。他人事ではない。マネすることに自足してためらいや恥じらいを忘れた世界に未来は永遠にやって来ない。