2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧
5年前に企画を手伝った映画が、大阪九条のミニシアターで初めて劇場公開されるというので、いそいそと出かけてきた。 T監督の『日本の忘れ物〜塩飽諸島本島ものがたり』(2009年 72分)。 映画館は、シネ・ヌーヴォX。日曜日夜7時からの上映スタート故もあ…
もう一人、フランスのJ・P・ベルモンドも好きだった。 1959年『勝手にしやがれ』(原題:「息切れ」)この邦訳が当時新外映に居た秦早穂子さんの命名=クリーン・ヒットであることは以前書いたとおりだ。 【http://d.hatena.ne.jp/kobe-yama/20130305/136…
アメリカ映画のご贔屓は、ポール・ニューマンだった。 1961年製作1962年日本公開 ロバート・ロッセン製作・脚本・監督『ハスラー』 相手役も助演陣も文句無し、丁寧に作られた一篇。 背景がレモンイエロー色のポスターというのも当時としては斬新だった。 あ…
チブルスキーをもう一本。1959年製作 イエジー・カヴァレロヴィッチ『夜行列車』(原題:Pociąg )から。 www.youtube.com つげ義春が、この映画を下敷きに1964年に『見知らぬ人々』という漫画を描いている。つげファンには知られた話だ。
お気に入りだった男優さんといえば、やはりいの一番に 浮かぶのは、スビグニエフ・チブルスキー。 誰?それ、という人も多いだろう。 「ポーランドのジェームス・ディーン」と言われたって、 ご本家・ジェームス・ディーンもご存じなかろうゆえ、 どうしようもな…
昔作られた映画は、製作当時の時代背景・社会情勢に制約を受けるので、瑞々しさが失われ経年劣化するという意見がある。 賞味期限切れ。時代遅れ、お笑い種、失笑もの。ポンコツ。 一方で、時代にそぐわなくなった流行や風俗が自然漂白されて生臭いアクが抜け…
新作の何が駄目かって、第一は舌っ足らず、だ。前後の辻褄があわないご都合主義・意味不明・曖昧模糊の垂れ流しでは箸も進まない。いただけない。野心満々の創作料理だって、不味いものは拙い。「自由な感性」とか「自分の言葉」がいくらゆるされるからって、…
困ったことである。どうしても新作映画に食指が動かない。映画館に足を運ぶのが億劫になっている。それよりもレンタルショップの在庫検索に目が行く。1000円と100円という差もある。コスパが違いすぎる。しかしそれ以上に、砂漠で仁丹を探すような徒労感に襲…
昨日に続いて、セオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』から。 「映画は人類の所産にあって、もっともデリケートなものである。紙片や羊皮紙はわりと安価に償えるし、彫刻なら数世紀、建築物なら千年は生き長らえる。しかし、映画がかろうじてし…
セオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』を読んでいる。【1998年6月文藝春秋刊】ミステリファンや映画ファンの間ではつとに知られてきた小説、上下ニ段組、本文561ページの長編大作だ。本線の物語よりも、間に挟まれる映画と映画界に対する…
ちょっとした事情があって、那須田淳さんの小説『星空ロック』を読んだ。 2014年夏第60回青少年読書感想文全国コンクール中学校の部課題図書だ。 中に、明治時代留学先のドイツで純正調オルガンを発明した田中正平さんのエピソード(実話)が登場する。ピアノ…
藤谷治『こうして書いていく』引用シリーズ(=ラクチン手抜きバージョン) 四つ目 「店番をしながら書くことについて」から。 「私は自分の本屋を持ち、その本棚の後ろ側に空間を作って、そこで書いている。 (中略) 芸術とは同時に矛盾した二面を持つもので…
藤谷治『こうして書いていく』引用シリーズ(=ラクチン手抜きバージョン) 三つ目のつづき 「小説なんか誰にだって書けるんだが‥‥」から。 「つまり、できるだけ小さなイメージなり文章から始めるのである。ほかのことは一切 スタートラインに立たせない。「…
藤谷治『こうして書いていく』引用シリーズ(=ラクチン手抜きバージョン) 三つ目 「小説なんか誰にだって書けるんだが‥‥」から。 「つまるところ小説を書くには、ずっと座っているしかない。 ずっと座っていても書けない、という話をよく聞くが、それは単…
藤谷治『こうして書いていく』引用シリーズ(=ラクチン手抜きバージョン) 二つ目 「すべて読め」から。 「相当な読書家であると、自他共に認める人もいるだろう。それでは足りない、 (中略)どっちかといえば読んでいる方だとか、読むべきものは読んでいると…
藤谷治『こうして書いていく』からの引用シリーズ(=ラクチン手抜きバージョン) まずは「文学と地面―まえがきにかえて」から。 「文学は人間の脆さに関わる芸術である。文学は社会の発展に寄与しない(思想的な示唆を、若干与えようとすればできないことも…
昨日記録媒体の変遷について書いたら、今日読み始めた本に「デジタル・ジレンマ」という言葉が出てきた。藤谷治さんの『こうして書いていく』【大修館書店2013年11月 刊】冒頭「文学と地面―まえがきにかえて」の一節。 「映像なり文書なりを、デジタルなデータと…
高校時代に8mmフィルムを廻したのが始まりだった。 その後、仕事で関わってきた映像記録メディアの変遷のあらましを‥思い出すまま。 8mm 16mm 35mm 以上フィルム‥オートスライドというのもあった。 ビデオテープになってからは、Uマチック(3/4イン…
若い頃と今では、考え方が180度変わってしまったことが幾つかある。 暫く前に或る映画のために纏めていたメモが出てきた。 ブログでも何度か書いてきた項目もあるが、再録してみる。昔 今 みんな一緒 みんな違う ひとつになる 違うことを認め お互いを尊…
真藤順丈さんの『七日じゃ映画は撮れません』という小説を読んだ。【2014年3月10日実業之日本社刊】1977年生まれ ダヴィンチ文学賞などを受賞しているらしいが、初めて読んだ。題名の「七日」は旧約聖書「創世記」の天地創造を意識したものだった。…
東京渋谷のアップリンク・ファクトリーでこんな催しをやるらしい。 『10代の映画祭 見せつけろ、10代の表現力。』 2014年8月10日(日曜日)一日だけの開催だ。 16歳の高校生・安藤勇作くんのインタビューを読んだ。 ⇒http://www.webdice.jp/dice/detail/432…
東京都内の名画座の閉館が続いている。 2014年7月20日(日)の三軒茶屋シネマの閉館に続いて、 8月31日(日)には、新橋文化劇場(隣のピンク映画館新橋ロマン劇場も)が廃業する。三軒茶屋シネマは、東京で仕事をしていた頃、ごくごく近くに住んでいたので、…
「すべて自前で行け」 ないものねだりはしない。人のせいにしない。時代や社会のせいにしても始まらない。なら自分たちの戦略・戦術で前に進むしかない。そう考えればいい。 出来合いのシステム・パッケージではなく、一から十まで手作り・自前で作るしかない…
「20世紀は分業の世紀だった、21世紀は統合の時代になるだろう。」 昔だれかがそんなことを言っていた。(気がする。) 撮影所の映画は、分業の産物だった。数多くの職能者がそれぞれ関連する作業を専門的に分担・分掌するシステムだった。それが様変わ…
ご容赦:「乞う!ご期待」とは言わなかったものの、「明日から書いていく」と切った啖呵は嘘だった。夏風邪にやられてダウンしていた。ということで、やっと「事業設計ノススメ」一言で言えば、もうそろそろつくりっぱなしは止めにしないか、ということだ。 確…