2ペンスの希望

映画言論活動中です

2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

汲めども尽きせぬ泉のようでありたい、映画を作るときには、いつもそう願っている。 多義的な多面体、それが映画の魅力だ。 昔の映画を見ると、本筋のストーリーとは別の背景、ディテールが豊かにいろいろのことを伝えてくる。髪型やファッションに時代を感…

ナックル

若い頃から変化球が好きだった。 剛直球なんて投げられるわけもなく、青筋立てて正論をまくし立てる姿は暑苦しく感じるへそ曲がりだった。中でも憧れたのは、ナックルだった。ほとんど無回転で不規則にゆれながら落ちるへなちょこ球である。バッターには、コ…

銀幕と自炊

事情があって、同じ映画をスクリーンと大型液晶モニター両方で見た。 スクリーン至上主義の皆さんには怒られそうだが‥昔なら考えられなかったことだ。 画面の大きさが与える影響、密室・洞窟性の意味、音響効果がもたらす想像以上の重要性など、改めて気づか…

『用を極めて 美に至る』 三十年ほど前に作った映画の仮タイトルだ。オープンする企業博物館の館内で上映するための注文仕事だった。題材は「大工道具」。切れ味鋭く良い道具ほど使い込まれチビて姿を消す。何十年も使われ、手の脂が染み込んだ金槌の柄。堅い…

今となっては時効だから言うが、映画の世界に入った時からずっと、エラソーに監督(演出)としてやってきた。誰かの下について、仕事を教わるとか、弟子になるという助監督経験、下積み時代は一切なかった。 学校を出て、ニュース映画(劇場で常時ニュース映画…

みんな

映画って誰のものなのだろう。 複数の作り手たち(スタッフ)が関わって、ギリギリとひとつの表現に収斂し、締め上げ練り上げられた(或いは、意味不明・未解決なままゴロンと投げ出され、観客の感受にゆだねられた)表現から、多義的な理解(受容)が導き出さ…

よそゆき

よそゆきでいいじゃないか リアルじゃない、嘘くさい という批判は今でもしばしば見かけるが、全く的外れ お門違いだ。「ありえねぇ、もあり」それが映画だと思うが如何? 俳優カーク・ダグラスは自伝『くず屋の息子』(1989年10月早川書房刊)でこう…

二本立

シネコンからミニシアターまで、多くの映画館は完全入替制になっている。えっ映画って入替制じゃなかったの、途中から入って見たところまで見て出てくるのもアリだったの、二本立てもあったの、両方観ても良かったのと驚く人の方が今や多数派なのだろう。一…

編集は最初の観客

編集は、製作過程でも最も大切な工程である。かつてオーソン・ウェルズは仏カイエ・デュ・シネマ誌のインタビューでこう発言している。 「映画における私のスタイルやビジョンにおいて、編集は単なる一要素ではなく、むしろ最重要要素だ。映画は“監督”のもの…

無名性

ついに「無名性」は「有名性」に勝てないのか? 耳にしたことがある話題、古くから知られてきた世界、誰にも憶えのある出来事、そんな映画ばかりがヒットし、聞いたことのないテーマ、まだ誰も知らない世界は、無視される(今の言葉で言えばスルーされる)。し…

検定

相変わらず◎◎検定が盛んである。 検定ブーム。いやもはやブームという一過性を超えて社会的な認知・定着も進む。みんなそれ程お墨付きが欲しいのか、自分に自信が持てないのか。 ご多分に漏れず2006年からは映画検定も始まっている。主催しているのは老舗の…

世迷い言(よまいごと)

いまだに、映画をTVより高級なものと崇めたり、クラシック音楽の方がポップス・ポピュラーより上等だと考える輩がいる。小学校の先生より大学の先生の方がエライなんて誰が決めた、そんなのが嘘っぱちなのは、常識だろうに‥。ましてや売れない映画監督が、…

新作禁止令

201X年X月XX日 新作禁止令が発令された。以降、新しい映画を作って発表することが全面的に禁止された。反応は様々に現れた。おとなしく従うもの、地下活動に走るもの、旧作の一部を改変して、いやコレは新作ではない、改定作だから法には触れない、と隙間…

覗き見

今日も映画館論のつづき。 エジソンが発明したキネトスコープは、覗きめがねスタイルだった。 大きなスクリーンに映写するアイデアには反対だったという話だ。その方が儲かると考えていたとも伝えられる。 作品『泉』で、現代美術史に名前を刻むマルセル・デ…

集団的私体験

「映画館」論の新ネタを披露させて貰う。 ウォルター・マーチ(Walter Murch)というアメリカの編集マンがこんなことをいっている。【『映画もまた編集である』(2011年6月みすず書房刊) 「(映画館で映画を観ることは)集団的私体験とでも呼べばいいのか、とて…

誰に見せるのか

誰に見せるのか、誰に見せたいのか、絞れば絞るほど、逆に万人が共感を寄せる普遍的な表現となる。経験から真理だと実感しているテーゼのひとつだ。 なのに、誰に見せたいのか、全くもってよく分からない映画が多すぎる。作り手の自己満足。観客不在。昔々の…

カメラは銃

カメラは銃である。 カメラを構える姿は、狙撃手のそれに似ている。 撮影開始の合図は、シュートshootだし、撮影された一つながりの映像はショットshot。言うまでもないが、shotもshootも銃による射撃の意味を持つ、撃つことである。文字通りピストルやライ…

映画館再論

映画を初めて観たのが映画館ではなく、DVDやビデオだという世代が増えている。 スクリーンではなく、パソコンのモニター、はてはワンセグ画面で初体験ということか。「映画館至上主義者」が聞けば言語道断、噴飯モノなのだろうが、映画館で観られる映画が…

邦題

今日は肩の凝らない横道バナシ。 田中章夫さんという学者の『日本語雑記帳』という本の中で、パソコン用語の「@」について面白い記述を見つけた。 日本では「アット・マーク」と呼ばれるのが普通だが、各国での呼称を挙げておられた。台湾では「小老鼠」(子…

監督の仕事

監督の仕事って何だろう。 色々あるが、経験に則した実感で言えば、「決めること」である。もうひとつ言うなら、「統べること」。スタッフの統括である。現場を仕切る。現場監督という言葉も、あながち間違ってはいない。監督がへなちょこでも、ベテランのスタ…

粗製濫造

機材が安価になるにつれて、撮影の現場がゆるくなっているのを感じる。映画の撮影もTVと同様に、複数台のカメラで同時に撮影し、効率的に大量の素材を集めるだけの役割になっている。 撮るだけとって後で考えればいい、というわけだ。 人が動き、一番お金…

母が亡くなった。九十歳を超えての老衰だから大往生だと言っていい。 映画が好きだった。若い頃はゲーリークーパーの大ファンで、嵩じて映画館のモギリまでやったという話を聞いた。邦画では東千代之介がお気に入りだった。東京の下町育ちで終生江戸弁が抜け…

拙管理人が全幅の信頼を置く映画監督は残念ながらそんなに多くはない。そんなお一人から檄を飛ばされた。永らく映画を撮っていないので、ご当人はア「監督」と自称するが、得がたいホンマモンだと慕ってきた。 檄は二つ。ひとつは、「状況に振り回されて右往左…

空気感

カメラは何を写すのだろうか。 何を言ってるの、対象・被写体に決まっているじゃない、というあなた、申し訳ありませんがあなたは素人です。 カメラが映し出すのは、対象とカメラの間に漂う空気(空気感)以外ではない。 時間の流れがあるムービーキャメラ と…

苦手

むかしからシネフィルが苦手だった。 知識の量の自慢大会、知られざる「お宝」(秘宝?)の発掘競争‥みんな嫌いだ。どこやらの偏差値の高い大学の総長さんになったエライ先生の書いた本は、いつも途中まで読んで放り出した。多分映画がお好きなのだろうが、映画…

三深切

河竹黙阿弥といえば、幕末から明治にかけて活躍した芝居ライターだ。 彼が説く戯作者の心得「三深切−座元に深切、役者に深切、見物に深切」。深切は親切に同じ。勧進元が喜び、役者が演じやすく、観客も喜ぶ。三つとも満たされていなければ、戯作としては不…

映画は戦場だ

「映画は戦場だ」というのは、アメリカの映画監督サミュエル・フラーの言葉だが、日本の脚本家・笠原和夫は、「秘伝 シナリオ骨法十箇条」の中でこんなことを書いている。 「脚本家はいわば戦争における〔作戦参謀〕である。ついでに言えば、プロデューサーは軍…

映画は光だ

ここ数日 新しい筋肉を動かして新しいことを始めようと、友人・知人の皆さんに、こまめにお誘いメールを送っている。何十年もあっていない人もいれば、若い頃からの懐かしい友もいる。そんな一人からこんな返信を貰った。 「むかしむかし「映画を見ないと麻…

一億総映画監督 到来か

撮影所がなくなり、近未来には映画館も消滅する、 そんな予測が立ちそうな今日この頃だ。 閑古鳥が鳴く映画館とは裏腹に、映画の学校や市民映画講座、子供のための映画撮影ワークショップといった取り組みは盛んになる一方である。このままいくと、街から映…