2ペンスの希望

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粗製濫造

機材が安価になるにつれて、撮影の現場がゆるくなっているのを感じる。映画の撮影もTVと同様に、複数台のカメラで同時に撮影し、効率的に大量の素材を集めるだけの役割になっている。
撮るだけとって後で考えればいい、というわけだ。
人が動き、一番お金がかかる撮影の現場は出来るだけスリム化し、早々に切り上げて、後工程である編集・仕上げで何とかする。CGや合成など加工技術も進化している。その方がコストパフォーマンスがいいのだ。
しかしである。
後工程でいかに頑張っても、そこそこの材料からはそこそこのものしか生まれない。現場の緊張感が失われ、弛緩したところから、いいものが出来るとは到底思えない。二級品の素材から作られる料理は、過剰な味付けで口当たりをごまかすものになりがちだ。あとさきが、さかさまになっている。企画を練り、入念な準備を施さないで、思いつきだけが一人歩きし、ゆっくり歩けばいいものをすぐに走り出す。走り出したら止まらない。止めるものもいない。結果、粗製濫造の山、山、山。
もともと映画なんてそんなもの、という声も聞こえる。映画だけじゃない。近松門左衛門だって、時事ネタを即座に戯作に仕上げ、スピーディーに上演したじゃあないか、とも。
しかし、悪いが、腕が違う。
シナハン(シナリオ・ハンティング)、ロケハン(ロケーション・ハンティング)、カット割り、絵コンテ、‥‥こうした入念な積み上げが忘れられてはいないか。
作られてはいけない映画はないが、見るに見ていられない映画はある。嗚呼‥