2ペンスの希望

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照明

昔と変わったものは沢山ある。
キャメラのデジタル化もそのひつつだが、今日は照明の話。
仕事を始めた45年前には、フィルムの感度が低かったために、室内撮影には照明技術が欠かせなかった。大きな工場撮影には、百キロワット以上のライトを使う。大体十キロ当たりで一人、百キロだと十人の照明さんが必要だった。大所帯、機材も重たかった。準備に時間も掛かった。場合によっては事前に電力会社に連絡して臨時に変圧器(トランス)を設置してもらわねばならなかった。
それが、ごろっと変わってしまった。
ノーライトでもそこそこ写る。そこそこどころか、肉眼でははっきり見えないような暗部も写ってしまう。先に挙げた菊地成孔さんの本『ユングサウンドトラック』でも「(従来の)どんどんライトを焚いて人工的に真っ白にした上に画面を入れていくやり方から、完全な自然光に戻るんだ」という記述がある。【112―113頁】自然光のみ。予算が厳しい製作現場では、照明さんがつかず、撮影部などが兼務する例も少なくない。少人数でフットワーク良く動く必要があるドキュメンタリーの現場では、照明を焚いている時間もない。ライトを当てることで現場の空気を壊してしまうこともある。
写るんだから、写ってしまうんだから、照明なんて不要だ、という極論まである。しかし、技術の進化が、自然光でも撮影を可能にしたことと、映画における照明=光(と影)の重要性とは、また自ずと別のことだろう。技術の進化が照明を無意識化したとするな問題だ。むしろ、意識化する契機となることを願う。
近代絵画の出発が、印象派にあったように。光の発見、光の動き、光の移ろいに気付くこと、光による質感の変化に注目することを忘れて欲しくない。