濱口竜介監督の新作『急に具合が悪くなる』を見て以来、映画館には行けていない。そこでごそごそと本『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』【2015/12/25 左右社】を再読している。

十年以上時間を経ての再読だ。以前は「シナリオ本編(第七稿)」にのみ注目して、本読みワークショップのために作られた「サブテキスト」は読まずに失礼した。迂闊だった。推敲を重ね絞られ表層に残されたシナリオ本編の奥には、登場人物それぞれの奥行、書かれていない来歴や心情、各登場人物たちの歴史や関係性が埋まっている。思えば、あらかじめ登場人物すべての架空想像上の「履歴書」を作ってみるなんてことは映画の現場ではよくやられる手法だ。
濱口さんは、巻頭の「『ハッピーアワー』の方法」にこう書く。
「物語は当然フィクションではあるものの、ファンタジーではない。登場人物たちは我々が暮らすのと同じ重力の中で生きている。」
そうなのだ。けど、キャスティングし演者に渡した段階で、履歴書・バックグラウンド作りは演者各自に委ねられて、監督以下スタッフは後はよろしくとおまかせしてしまうのが普通のやり方だ。(だってさ 時間もお金も掛かるからね )濱口さんたちはそこを端折らず丁寧に埋めていく。演者に「安心してもらう」ために‥演者を「勇気づける」ために‥。そこが並じゃなかった。この本には、サブテキストが10篇が収録され、20名の登場人物たちの来歴・関係性が描かれる。手抜き無し。
いやぁ、面白かった。濱口さんも「脚本よりもずっとのびのびとそれぞれ書いたライターの個性も抑制されずに出ているように思う」と記している。一本の映画がどれだけの奥行で作られているのかを知ることは悪いことではない。観客/鑑賞者にとどまる人には必要ないかもしれないが、作り手/スタッフ/演者を目指す人には求めたい。
濱口さんは「はらわた(臓腑・内奥)」というキイワードを掲げる。
「自分が自分のまま、別の何かになること」

ダンサー振付師:砂連尾 理さんのHPより
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本の「はじめに」には、こうある。
「大学を卒業後、商業映画の助監督になって、学生時代に多くの時間を費やした映画や音楽の経験が、撮影現場の実務においては一切、役に立たないことに気づかずにはいられなかった。時に尻を蹴られつつ絶望的な気分にもなった。‥‥それから時間を重ね、今はどちらかと言えば全く逆のことを確信している。映画や音楽は人が生きることを助ける。最良のそれらは常に、人が真摯に生きたことの証拠であるからだ。記録機械であるカメラ(やマイク)はその事実を確かに記録して、何度でも再生する。疑いようのない証を見て、聞いたことが、受け取った者の基底において生きることを励ます。」
この世には 生きるために映画や音楽の助けが要らない人もいる。そんなものなしに真摯に生きる〈強い〉人がいる。そのことを映画や音楽に携わる人は忘れずにいて欲しいとも管理人は思っている。それが映画や音楽をより「強く」豊かにすることだからだ。