2ペンスの希望

映画言論活動中です

人類史の中の映画

大上段、ものすごく大袈裟な 大風呂敷を拡げてみる。

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映画の誕生から百五十年近くが経った。

短くはないが人類史全体からみれば僅かな時間だろう。けど、映画という表現文化は、急激に変貌変化≒成長成熟しながら、わずか百年少々で早や息切れし、酸欠・貧血状態に陥って、老残衰弱しているように見えて仕方がない。「そんなことはない! 日本映画は元気だ。邦高洋低。年間興行収入は過去最高記録を更新した。アニメだけじゃない、実写映画だって健闘している。つまりは、お前さんの勝手な思い込み、杞憂に過ぎない」‥そんな声が聞こえないわけではない。けど、本当にそうか‥「人類史における映画の位置」について考えてみる。しばし お付き合いを願う。発作的思いつきのようだが、それなりに時間をかけて観察し考えてきたつもりなので‥そこんとこ 夜露死苦(よろしく) !  ← ん?コレも昭和の死語か、自分 古い人間で日本の映画を 愛羅武勇(あいらぶゆう)してるもんで‥

本『カメラの前で演じること』再読

濱口竜介監督の新作『急に具合が悪くなる』を見て以来、映画館には行けていない。そこでごそごそと本『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成【2015/12/25 左右社】を再読している。

十年以上時間を経ての再読だ。以前は「シナリオ本編(第七稿)」にのみ注目して、本読みワークショップのために作られた「サブテキスト」は読まずに失礼した。迂闊だった。推敲を重ね絞られ表層に残されたシナリオ本編の奥には、登場人物それぞれの奥行、書かれていない来歴や心情、各登場人物たちの歴史や関係性が埋まっている。思えば、あらかじめ登場人物すべての架空想像上の「履歴書」を作ってみるなんてことは映画の現場ではよくやられる手法だ。

濱口さんは、巻頭の「『ハッピーアワー』の方法」にこう書く。

物語は当然フィクションではあるものの、ファンタジーではない。登場人物たちは我々が暮らすのと同じ重力の中で生きている。

そうなのだ。けど、キャスティングし演者に渡した段階で、履歴書・バックグラウンド作りは演者各自に委ねられて、監督以下スタッフは後はよろしくとおまかせしてしまうのが普通のやり方だ。(だってさ 時間もお金も掛かるからね )濱口さんたちはそこを端折らず丁寧に埋めていく。演者に「安心してもらう」ために‥演者を「勇気づける」ために‥。そこが並じゃなかった。この本には、サブテキストが10篇が収録され、20名の登場人物たちの来歴・関係性が描かれる。手抜き無し。

いやぁ、面白かった。濱口さんも「脚本よりもずっとのびのびとそれぞれ書いたライターの個性も抑制されずに出ているように思う」と記している。一本の映画がどれだけの奥行で作られているのかを知ることは悪いことではない。観客/鑑賞者にとどまる人には必要ないかもしれないが、作り手/スタッフ/演者を目指す人には求めたい。

濱口さんは「はらわた(臓腑・内奥)」というキイワードを掲げる。

自分が自分のまま、別の何かになること

ダンサー振付師:砂連尾 理さんのHPより

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本の「はじめに」には、こうある。

大学を卒業後、商業映画の助監督になって、学生時代に多くの時間を費やした映画や音楽の経験が、撮影現場の実務においては一切、役に立たないことに気づかずにはいられなかった。時に尻を蹴られつつ絶望的な気分にもなった。‥‥それから時間を重ね、今はどちらかと言えば全く逆のことを確信している。映画や音楽は人が生きることを助ける。最良のそれらは常に、人が真摯に生きたことの証拠であるからだ。記録機械であるカメラ(やマイク)はその事実を確かに記録して、何度でも再生する。疑いようのない証を見て、聞いたことが、受け取った者の基底において生きることを励ます。

この世には 生きるために映画や音楽の助けが要らない人もいる。そんなものなしに真摯に生きる〈強い〉人がいる。そのことを映画や音楽に携わる人は忘れずにいて欲しいとも管理人は思っている。それが映画や音楽をより「強く」豊かにすることだからだ。

コボちゃん:続

引き続き「コボちゃん」三連発

🔳連載1回目(1982/4/1)

🔳97回

🔳5256回(彩色カラー版)

石田汗太担当記者談:私の担当期間中では不動のベストワン。原稿をもらった時に感動し、植田先生に電話した記憶がある。植田先生の笑いは基本クールでシニカルだが、その根底には「優しさ」があることをよく示す一作。すべてのコマが完璧な出来。特にラスト、女の子の表情が見えないところはシビれる。【歴代担当記者によるおすすめの回セレクション より】

コボちゃん ~ ごみ分別辞典

「コボちゃん」を御存知だろうか? ツーブロックの有名人だ。

そう植田まさし作、読売新聞朝刊に連載中の四コマ漫画。2021年1月に13750回をむかえ一般全国紙の連載最多を記録、五年後の今もなお記録を伸ばし続ける最長不倒四コマ漫画。

植田まさしさん(1947年5月生) 「私は絵から入ったマンガ家じゃなくてね、アイデアから入ったマンガ家。」用意周到 安定感抜群 究極のノームコア「筋金入りの普通」の人だと評される。

画業50年コボちゃん40周年記念の本『コボちゃん傑作選』【2022/3/25 中央公論新社】がすこぶる面白かった。

とりわけ 第3章コボちゃんを裏で支える人たち=担当記者座談会は超おススメ。企画を考える人にはタメになる有益なヒントアイディアが満載だ。アトランダムに幾つか‥

①年中 こまめにネタ帳をつけるちなみに、2021年11月取材時点で526冊と‥

オチを考えてから逆算

アイディアはモノから発想する(「以前は乱数表を作っておいて、今日は辞書の何頁を見るかを決めて、そこからモノを拾い出していたらしい。1990年代にインターネット革命が起き、色々検索でみるようになって‥‥」

こんな記載も ⇒

山田恵美担当記者「モノから発想する場合、各自治体のごみ取集のための手引きみたいものが、家の中にある全てのモノが列挙されているので便利だとか。一番使えるのは、東京の調布市の「ごみ分別辞典」なんですって。

佐藤憲一担当記者「ネットで検索できるけど、調布市ごみ分別辞典には、石臼もマネキンもボートこぎも、何でも載っているね。

というわけで、ここまで読んで戴いた方に特別附録:

www.gomisaku.jp

NFAJクラファン 応援メッセージ 出色二氏

NFAJ(国立映画アーカーヴ)のクラファン呼びかけを幾つか読んだ。

通り一遍のお題目凡庸メッセージがあまた並ぶ中、比較的ましな肉声が聞こえてきた(と勝手に管理人が感じた)二人をコピペして置いてみる。

濱口竜介:撮影現場でのスタッフ経験もほとんど持ち得なかった私が現在、映画監督として活動できているのはここで見た映画のおかげだと心の底から思っている。
特に撮影所が機能していた時代の日本映画の質は、想像を絶するほど高い。ようやく、小津・溝口・黒沢そして成瀬や大島以外の名前も国際的に知られ始めたが、日本映画にはまだまだ世界を驚かせる鉱脈が眠っている。それらがどこに、最も集中的に収められているかと言えば、それはこの映画アーカイブなのだ。字幕なしにこれらを見られるというのは、その画面や俳優たちの声音を無媒介に享受できるということだ。想像してみていただきたい。それがどれほど観客にとって幸福なことであるか。どれほど未来の映画人を育てたか。撮影所崩壊後にあっても、日本映画が一定の注目を国際的に集め続けてきたのは、この歴史を土台に持つがゆえだ。
私自身は「国立」と名のついた施設が、こうしてクラウドファンディングに乗り出すことを健全な事態とまったく思えない。それは、これほどに充実した文化を国がほとんど蔑ろにしていることの証左だからだ。このことは映画の先達である、絵画や彫刻などの美術全般においても同様だろう。我々はこの事態を、単なる「資金集め」を超えた文化そのものからの呼び声として受け止めるべきだろう。それに応じるにはどうしたらいいのか。このファンディングに参加すること? 短期的にはそれもあり得る。しかし、より長期的には二度とこれを繰り返させないように各人が行動することだろう。この呼び声が、断末魔の叫びとならないように。(太字強調は引用者)

三宅唱:映画アーカイブとは新たな可能性の宝庫です。映画史とはたんに古い映画ではなく、まだ見ぬ映画であるかぎり、今生きている私たちも含めた未来の無数の人間にとって「新しい映画」であり続けると実感してきました。豊かな土壌を暴力的に無視したとして、荒地からなにが生まれるのか。豊かな土壌を現在日々維持している人々を暴力的に軽視して、より良い未来があるのか。先人たちの濃密な実践からの刺激なしに、なにができるのか。このクラウドファンディングの成功(根治できる特効薬ではなくとも、やはり最良の応急措置だと思います)が、より良い社会のために繋がってほしいと心から願います。(太字強調は引用者)

各氏の応援メッセージは、ココ ⇓ で読めるゾ。

(①:https://readyfor.jp/projects/NFAJ2026/announcements/431073

(②:https://readyfor.jp/projects/NFAJ2026/announcements/431598

(③:https://readyfor.jp/projects/NFAJ2026/announcements/435858

二つの老朽化に抗して

十年二十年と続いてきた地方映画祭が二つの老朽化に見舞われているようだ。施設の老朽化 建て替え リニューアルと運営スタッフの高齢化 後継者難 世代交代の必要から、存続が危ぶまれ見直しが迫られている。すべてのものにつきまとう ヒト モノ カネ の問題。

 

小中高校生向けの映画製作ワークショップなど次世代育成を意識した試みも取り組まれているようだ。悪くはなかろう。否定はしない。けど、何だかベクトルが違っているように感じて仕方がない。だってそうだろう。作りたい奴は放っておいても出てくる筈だ。大事なのは、つくる力より、見る力の育成・見る眼を養い育てることじゃなかろうか。歯ごたえなきジャンクフードウエハースみたいなやわな新作を漁るより、昔日の折り紙付き古典一級品名作群との出会いを準備するほうが先決だと思うのだが‥どうだろう?

 

『われらが海民』弍:映画『黒神』

大重本『われらが海民』で一番面白く読んだのは、神馬亥佐雄さんとの対談「出会うことのドキュメンタリー」[ 1997/6/22 『黒神』『光の島 ISLAND OF LIGHT』上映後の対談 於:壱岐坂BODYSPACE(東京都文京区)]

神馬亥佐雄さんは大重さんが岩波映画製作所時代に何本か助監督に就いた映画監督さんだ。失礼ながら大重さん以上に知られていないが、小川紳介さんや土本典昭さん黒木和雄さんらの先輩映画監督さんだ。

神馬:大重君が薩摩の桜島の黒神をやると言ってもみんなピンとこないんです。あいつ何を言ってるんだよと、神馬さんわかる?と。大重は何考えてんだろうね、というのが岩波映画の僕らの世代でしたよ。‥‥(中略)‥‥小川紳介さんや土本さんの『留学生チュアスイリン』なんかも出来上がっていた時代に、逆の意味でとても興味をそそられたわけです。そういう意味では、新しい日本のドキュメンタリー映画が華々しく登場しかけた時代ですよ。多分そういう一九六七年くらいから、大重君は『黒神』の映画のことを発想しだしたんですね。しかし『黒神』は、時代感覚からいって違和感も当然ありますよね。投資側からいえばね、僕は両方側ですから、バランス感覚が優れているところがあるんでね、ああ、なるほどこっちばかりやってちゃだめだろうと、こっちもやらねばなるまいと、こうなんか直感で思った後、よし僕が東京で全部面倒見ると云ったんでしょうね。

神馬ドキュメンタリーというのは劇映画でないから、出会いの結果しか生まれないわけだから、出会わないと生まれないわけだから、その出会いをどれだけ自分で内実化できていくかという資質に大きくかかわっていくのではないかと、あなたは非常に先天的にもっているなあと、だから僕はそういうのを自然児と言っているんだけどね。本当に僕なんていうのは、君なんかよりずっと知的だから? 物凄く大事な出会いをどこか論理的にぱっと切っちゃったりすることがしばしばあるんだよ。で、いけないと思うんだけどもそういう逆をずっとあゆんできたような気がするね。本当にあなたのような動物的なアンテナがあればね、動物感覚があればぴたっとくるんだろうけどね。

大重:僕はねえ、非常に素直なね‥‥‥。 やっぱり、外にさらさずに、内に沢山あるんですよね。やっぱり内にさらすということがものすごく大事というか。

神馬:この映画はね、ただ一人癒しを求める人がいるとすれば、ただその人一人のためにあなたの映画を見せればいいんじゃないですか。そういう風に考えた方がいいんだよ、君の映画は。[ 出典は『光の島 ISLAND OF LIGHT』パンフレット、UMI映画出版実行委員会から ]

大昔の話ゆえ、若い衆には文意が伝わり難いかもしれない。が、同時代を生きてきた映画人諸氏には何がしか伝わるものがあるはずだ。

追悼の意味も込めてYouTubeにアップされている映画『黒神』の予告編を挙げて置く。

www.youtube.com新藤兼人監督『裸の島』1960年を思い出す人もいるかも知れないけど、‥もっと直情 むきだし 粗削り、動物的な映画だったと記憶する。