2ペンスの希望

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さらにさらに 都市が主人公の映画

クラシックからもう一本。

Roberto Rossellini監督

1950 イングリッド・バーグマンと。

1948年 ロッセリーニ監督の『 Germania anno zero:ドイツ零年』少年映画であり、反戦映画であり、それ以上にベルリンという都市の映画でもあろう。

オープニング


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エンディング


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この映画から、1959年 トリュフォー『Les Quatre Cents Coups *1大人は判ってくれない』が生まれ、1991年JLGは『Allemagne année 90 neuf zéro *2:新ドイツ零年』を作った。

[付記:ウイキペディアに拠る豆知識]

 *1「Les Quatre Cents Coups」直訳は「400回の殴打、打撃」。そもそもは仏の慣用句「faire les quatre cents coups」(「無分別、放埓な生活をおくる」)に由来する。

*2「Allemagne année 90 neuf zéro」は『ドイツ零年』の仏題 Allemagne année zéroに「1990年」の「90」と「新しい」という意味の「neuf」を付け加えたもの。

 

都市が主人公の映画

Dans la ville blanche:白い町で』(1983) を書いたら、都市を描いた映画のことを思い出した。で、今日は José Luis Guerín ホセ・ルイス・ゲリン監督の2007『En la ciudad de Sylvia :シルビアのいる街で


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これまたスタティックで何とも説明的な予告編。お行儀の良いこと。

フランスの古都ストラスブールは単なる舞台・背景じゃない。都市こそが主役だ。

もっともお客さんを呼ぼうとするなら、ロマンス仕立て・サスペンス仕様・お偉いセンセイのお墨付きという定番になるのだろうけど‥

JLG ≦ Alain Tanner

メディアではゴダール追悼ばかりが目立つので、へそ曲がりとしては忘れぬうちにアラン・タネールを少々。

1983『 Dans la ville blanche:白い町で』

当時 元気だったシネセゾンが配給した。まずは、ものすごく説明的な予告編をどうぞ。


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映画のトーン&マナーはコチラのほうがおススメ。


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主役は、リスボンという都市そのもの。それ以外じゃない。

8mmと35mm、画質の違い・息遣いの差にも ご注目ご堪能。


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無常 無情

キャメラを抱いて走れ! 撮影監督 仙元誠三』【2022.6.25. 国書刊行会 刊】を読んだ。2年ほど前に亡くなった仙元誠三(1938.07.23~2020.03.01. 享年81)キャメラマンに親子ほど若い 山本俊輔(1975.~)佐藤洋(1974.~)の二人がインタビューして作った本だ。

464頁、菊判 ハードカバー 厚さ3.9cm 巻末には「撮影作品リスト」(劇映画/記録映画/Vシネ/ビデオオリジナル/連続テレビドラマ/単発テレビドラマ)「主要参考文献」「索引(人名/映画・テレビ作品題名)」まで網羅した篤実な仕立てで面白く読んだ。映画本はやっぱり現場・関係者の聞き書きが一番ワクワクする。小難しい用語が頻発する評論家・学者・研究者諸先生方の持って回った「言説」本より格段に痛快だ。

読みながら、仙元さんと同世代で もう少し前に逝った田村正毅(たむら まさき)キャメラマン(1938.01.26.~2018.05.23. 享年79)の本を思い出した。

『酔眼のまち―ゴールデン街 1968~98年【2007.11.30. 朝日新聞社 刊】

202頁、新書判 厚さ1cm。

こちらも青山真治監督によるインタビュー本だ。巻末には「エンドロールのかわりに」と題した青山真治の文が載る。けど 索引も映画リストもない。もっとも 生前のお手軽仕様のお気楽本だから、無いものねだりをしたって始まらない。

(もう一冊 二人には『映画の授業 映画美学校の教室から』に「キャメラと監督のあいだ(たむらまさき青山真治))」という対話本もあるようだが‥コチラは未見)

仙元 たむら ご両人がキャメラを廻した映画は二十代から何本も見て来た。

かたや、「運動神経抜群 手持ち自在 フットワークの軽やかさ信条の体育会系」キャメラマン。こなた「目が据わり腰が据わった一徹体当たり派 文系サークル」キャメラマン。ともに若い世代と組むことを厭わなかったガムシャラは似ている。野暮は承知でお二人の「この一本」を挙げるなら、

仙元さんについては、『空,見たか?』(1972 田辺泰志監督)

田村さんについては、『竜馬暗殺』(1974 黒木和雄監督)

史的にも詩的にも私的にも忘れられない映画だ。

それにしても、映画人の訃報が続く。

2022.09.13.には JLGが‥、その二日前 2022.09.11.には アラン・タネールが逝った。JLG 享年91 タネール享年92。一方は国宝と讃えられ華やかに送られ、一方はひっそりと静かにフェードアウトした。

その無常、その無情‥‥。 もう秋か。

正統と異端 深浅 新鮮

正統と異端は主従の関係にあるわけじゃない。そう思ってる。

要は「深浅」であり、「新鮮」かどうかだ。

大通りの大店だって、ちゃちな底の浅い商品もあれば、裏通りの個店で結構な良品に出会うことだってある。歴史と伝統にあぐらをかいて、旧態依然・見てくれの看板・包装紙だけで商売を続けるところもあれば、時代の先を走り新しく鮮やかな風が生まれることもある。

不易流行:「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」

芭蕉さんはやっぱり大したもんだ。古びない。瑞々しい。

「正統なき異端しかない」そう言われて久しい日本映画だが、作る側も見る側も今一度「深浅」と「新鮮」を尺度に出直してみてはどうだろう。

正統と異端 直球と変化球 

つむじ曲がりのひねくれ者は嫌いじゃない。ただし、芸の無いのは困る。

昨今は、お気に入りの映画は何度も見るものだそうだが、(好みの音楽CDを繰り返し愛聴するように)初見・一発・一回見ただけでスッキリスックリ理解できるのが一番だ。どこかもやもやして何度も見直してはじめて深い意図・作意に気づくようなのは御免だ。独りよがりの生煮え異端はいただけない。傷んだ異端は遺憾でイカン。

かつて三島由紀夫は、御贔屓だった俳優鶴田浩二の映画『総長賭博』を褒めてこう書いた。「これは何の誇張もなしに「名画」だと思った。何という自然な必然性の絲が、各シークエンスに、綿密に張りめぐらされいることだろう。セリフのはしばしにいたるまで、洗練が支配しキザなところが一つもなく、物語の外の世界への絶対の無関心が保たれていることだろう。(それだからこそ、観客の心に、あらゆるアナロジーが許されるのである。)

頑迷固陋といわれようとも、変化球より真っ向勝負の豪直球を見たい。

フツウの大人なら一度でわかり、唸らせ、黙らせ、得心させ、ニヤリと笑わせられてこそ、映画。選良・選民だけが喜び、弄ぶような映画は遠慮したい。