2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧
ブログを開始して一年近く、初めて年越しを迎える。 正直、こんなに怒りっぽい性格だったとは思わなかった。 苦言や泣き言、愚痴や嫌味の多さに改めて驚く。読まれて気分を害した方もおられたことだろう。それもこれも映画への愛ゆえの勇み足、そうお考え戴…
山根時評開始から丸一年 青息吐息・四苦八苦で何とかやってきたと述べている。 「つくり手が、何かの主題にこだわり、映画にする。と、できあがった映画を見るがわが、その主題をつかんで理解し、つくり手の意図を云々する。それが映画をみることだろうか。入…
今号のキーワードは、「宴会映画」。きっかけは、森崎東監督へのロングインタビューだったようだ。「宴会のような映画をさながら宴会をやるようにつくっていく」というイメージだと説明している。 映画制作は様々に喩えられる。例えば「建築」。脚本(設計図)に基…
今号の山根時評、テーマは娯楽映画。「サービス満点」「これでもかこれでもかの飾り立て」「女優たちが、あらんかぎりの力をふりしぼって熱演する。あられもなく裸をみせる。」その「必死さ」「切実さ」がかえって日本映画の「余裕のなさ」を露呈している、と指…
珍しく褒めている。「題材の意表をつく異常さを、正攻法の描写の力がつねに平常心において、間断なく乗り越えていく。無化ではない。超えるのである。‥肩すかしを食う爽快さ、といえようか。すなわち、解き放たれる歓び、である。」とベタ褒めだ。褒められてい…
この号のキイワードは、「窓としての映画」。 知られざる現実、或いは失われた現実を「手間ヒマかけて再現し、それを窓をとおして見せようとする映画」つまり「映画が窓としての役割を果たしている」映画を挙げ、それを批判する。現実の「再現」をいかにリアルに…
今日は、山根時評とは別の話。 ラジオで聞いただけのうろ覚えなので正しいかどうかは分からない。けど、印象的に耳に残っているので、書いてみる。朝の番組のゲスト出演していた高石ともやさんが生前親交のあった小沢昭一さんのエピソードを即興の唄にして披…
山根時評この号は、「説明」と「描写」についての考察だ。「説明」と「描写」は違う。 山根さんは言う。「描写に力がない」「説明らしきものはあるが、描写それ自体が画面にないのである。」「波瀾万丈も哀切も、たんなる絵でしかない。それゆえドラマは、筋立…
中平康52歳 三隅研次54歳 増村保造62歳。「戦後第一世代の監督が次々に亡くなる中、それに続く第二世代の監督が鋭さを欠き凡庸化している」様を憂いている。時評に採り上げた第二世代の監督は、山田洋次、五社英雄、小沼勝ら。(その評価・妥当性につ…
「題材やモチーフのみで映画を区別もしくは差別するのは、明らかに誤り」であり、動機や主題がどんなに高邁でも面白くない映画は駄目だと斬り捨てる。「どうしてこんなに楽しくない映画を自分(=山根)は見ているのかと嘆きたくなる」「けっしてヒドイ出来で…
時評連載二回目では、記録映画『山谷(やま)――やられたらやりかえせ』を採り上げている。『山谷(やま)〜』については未見なので山根さんの評価が額面どおりなのかどうかは知らない。ただ、「撮影にとりかかった監督佐藤満夫が殺され、その遺志を継いで映画…
時評の第一回は「キネマ旬報」1986年10月下旬号に掲載された。 「手書きアニメが力量を高めつつあるのに対し、多人数による手作業でつくられてきた劇映画の貧しさと狭さ、衰弱が目に付く。困ったものだ」という嘆息から始まる。さらに悩ましいのは、「映…
ひょんなことから山根貞男さんの『日本映画時評 1986−1989』【筑摩書房1990年6月刊】を手にした。1986年といえば、拙管理人は三十代後半、一番よく働いていた時期だ。横目で日本の劇映画を眺めながら、日々の仕事に追われていた。たまに見…
ご当地映画というのがある。昔も沢山あった。ご当地ソングしかり、特定の地域を舞台に物語が展開する。寅さんもトラック野郎もそうだった。有名スターがオラが町村・わが故郷に来てくれる、有り難や有り難や、という訳だ。撮影所亡き後も形を変えて続いた。…
日本で一番大きなテレビ局で請負で仕事をしていた時期があった。その頃とても感心したことがある。巨大組織ゆえのしがらみ、軋轢、不自由‥仕事の進め方には色々あった。それでも、これは凄いなぁ、紛れもなく正しいやり方だよなぁと感じ入った。何か。 番組…
4Kテレビというのが売り出されているらしい。現物を見たわけではないのだが「水平画素数3840、フルハイビジョンの4倍の画素数を誇る高画質テレビ」というのが謳い文句だそうだ。(水平画素数1000を1Kと数える。)価格はSONYの84インチの大型画…
小沢昭一さんが亡くなった。小沢さんといえばラジオの人、放浪芸・語り芸というのが通り相場になっているが、昔の日本映画を見ると実にたくさんの映画に顔を出している。助演から主演まで快演・怪演また諧演いや壊演か。随分と楽しませてもらった。 というこ…
全ての産業はサービス産業、映画もまたサービス産業だ。そういえば言い過ぎだろうか。いや、映画は産業なんかじゃない、文化であり藝術なんだという声がすぐにも聞こえてきそうだが、(そういう方は即退場で結構。お代も結構) しかしである。 映画だって、何…
テレビはほとんど見ない。ラジオばかり聞いている。 朝の番組で藤井純一さんへのインタビューを聞いた。藤井さんはセレッソ大阪と北海道日本ハムファイターズの元社長。赤字経営を数年で黒字転換させたことで知られる。「滞留した一.五軍選手の大掃除に努め…
身も蓋もない話だが、才能はお金の集まるところに集まる。 かつて撮影所は狭き狭き門だった。数人の助監督採用に何百倍何千倍の人が集まった。それが、テレビ局に変わり、広告・コピー業界から、音楽、マンガ、ゲームへと移っていった。いまならお笑い芸人や…
もはや、同時代なお手本も目標も判断基準も無い。目指すべきメジャーも無い。 個々人は別にしても、業界全体で眺めると本気で映画の未来を考えようとしているとはとても思えない。有象無象の製作会社も職能組合も業界団体も。明日のことは考えても、明後日の…
100本の映画があったとする。 どこにも非の打ち所のない見事なのが1本、どこもかしこもボロボロ救いようのないのが1本、あとの98本はいかようにも評価可能。そう思っている。 不遜、暴論は承知の上だ。箸棒(箸にも棒にも引っかからない)が1本、箆棒…
人は分からないものは遠ざけようとする。正体不明は気味が悪い。怖い。 北山修さんはこう言っている。 「分かる」とは、分けることが出来る・あるカテゴリーに分類可能だということ、逆に、 「分からない」とは分けられないこと・分類不能。腑に落ちないため…
ある監督さんとイマドキの映画について話した。「技術は思想だ」という話しになった。 頭でっかちで声と態度だけデカイ映画が幅を利かせる。思いはご立派かもしれないが技術がないのは戴けない。困ったものだ。表現の世界では、技術がすべて。 手が動かなけ…
どんな分野の表現でもそうなのだろうが、「省略」は重要な技法だ。 若い映画人とそんな話になった。彼は、アニメを例に挙げてこんなことを云った。 「CGやアニメは、先人たちが積み上げてきた省略という映画の技法を台無しにしようとしている。技術の進化は、…
最近立て続けに橋本治さんの本を読んでいる。小説『幸いは降る星のごとく』も面白かったが最新刊のエッセー『橋本治という立ち止まり方on the street where you live』もお薦めだ。【2012年10月朝日新聞出版 刊】 橋本治の何が凄いかといえば、森羅万…