2ペンスの希望

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86−11「やられたらやりかえせ」

時評連載二回目では、記録映画『山谷(やま)――やられたらやりかえせ』を採り上げている。『山谷(やま)〜』については未見なので山根さんの評価が額面どおりなのかどうかは知らない。ただ、「撮影にとりかかった監督佐藤満夫が殺され、その遺志を継いで映画を完成させた山岡強一が殺された」という事実が記される。
映画を作ることが文字通り「命懸け」であった時代。四半世紀前はそんな時代だった。若い人には想像すら難しいヤバイ(旧訳)時代だった。もちろんそれが良いわけではない。映画を作ろうとしただけで殺されるなんてかなわない。割に合わない。イマドキの安穏の方が百万倍マシだ。
ただ、「映画が現実と関係を取り結ぶことを忘れ」「現実とのぶつかりを回避していて、そのくせ深刻ぶったり気楽さを装ったりする」劇映画を「うんざるする」「いい気なもんだなあ」と書いた山根さんの心情はよく分かる。
【註:青字部分は、山根時評からの引用箇所 以下同様】
そもそも映画を作ることは、ヤバイ(新訳+旧訳)ことであり、半端ないことなのだ。精神の怠慢・弛緩は許されない。ヒリヒリハラハラする緊張感を忘れてはいけない。これが教訓その2だ。いつまでも資本と技術にやられっぱなしではいけない。やられたらやりかえせ、だ。