2ペンスの希望

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87−10 映画でないもの

山根時評開始から丸一年 青息吐息・四苦八苦で何とかやってきたと述べている。
つくり手が、何かの主題にこだわり、映画にする。と、できあがった映画を見るがわが、その主題をつかんで理解し、つくり手の意図を云々する。それが映画をみることだろうか。入場料を払って映画を見るお客さんは、どんなふうに見たってかまやしない。けれども、映画を見ることのプロである人間(管理人註:「試写会は只見で、文を書いてはお金まで貰う人間」の意か)が、ちゃんと映画そのものを見ないんじゃ、話にならん」と愚痴る。「映画を論じたものなどまったくなくて、みんなして(題材である)実在の人物を語るばかり。時代、人物、史実について云々するだけなら、映画でなくてもいいわけで、自伝のほうが、よっぽどおもしろい。」と嘆く。「おもしろいとかつまらないの次元じゃなく、どだい映画として認められんのに、そんな映画でないものまで映画として取り扱おうとしてきた」時評のありように早くも泣きが入る。実際1989年5月には「映画の底が抜けた」と書きながら、以後、なす術もなく時は流れ、時評だけが今も続く。
【註:青字部分は、山根時評からの引用箇所】

(今だから言えるのかもしれないが‥)そんなことは端から分かっていただろうに。
別個に作られたまたま出揃っただけ、動機も目論みも個々バラバラの映画、その品定めを通じて日本映画の置かれた情況や問題点を浮かび上がらせるという芸当はさほど容易ではない。遠近両用眼鏡の使い分けという技が求められる。
かくて時代は昭和から平成に移り、はや四半世紀が過ぎた。
「あとがない」のに「あてがない」事態は変わらない

いや変わらないどころか悪くなるばかりだ。怠慢の責任は、昭和を知る「映画人」すべてにある。業界人、評論家、研究者、そして、観客であるアナタにも。もちろん山根貞男さんにも、拙管理人にも、だ。慨嘆するばかりで、放置してきたツケは大きい。応分の責は負わねばならない。このブログを続ける意味もそこにある。そう考えている。
 教訓その9は、映画でないものには映画ではないとハッキリ言おう
ということで、山根時評をガイドにした論評はここまでとする。越年はしない。