2ペンスの希望

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87−01「〈戦後映画〉の行方」

中平康52歳 三隅研次54歳 増村保造62歳。「戦後第一世代の監督が次々に亡くなる中、それに続く第二世代の監督が鋭さを欠き凡庸化している」様を憂いている。時評に採り上げた第二世代の監督は、山田洋次五社英雄小沼勝ら。(その評価・妥当性についてはココでは問わない。)
‥映画はつねに時代とともにあった、と、そんな当たり前の話ではない。むしろ逆に、すぐれた映画は、たしかに一つの時代とともにありつつ、時代を越えていってしまう。増村保造の映画は豊かに刺激的で、すばらしくおもしろい。
【註:青字部分は、山根時評からの引用箇所】
面白い映画だけが、時代の産物でありながら、時代を越えて生き続ける。
それが「古典」とか「スタンダード」の条件だろう。
思えば、戦前・戦後を通じて、そんな映画がわんさか作られてきた。日本映画史の通説を必ずしも信用する訳ではないが、1953年(小津53歳)『東京物語』 1954年『七人の侍』(黒澤44歳)『二十四の瞳』(木下42歳)  1955年『浮雲』(成瀬50歳) 1960年『裸の島』(新藤48歳)、‥‥、いずれも半世紀以上前の映画ばかり。黄金時代がいつまでも続くわけではなかろう。それにしても、だ。1980年代以降の日本映画で、50年後100年後に生き残る映画が何本あるだろうか。お寒いかぎりだ。
かくして今日の教訓その4は、時代と寝ながら時代を越えろ、だ。何、そんなことは言われなくとも分かってる、って。じゃあ、事は簡単だ。マメな精進あるのみ。自他共に。日暮れて道遠し。残り時間は限られている。