2ペンスの希望

映画言論活動中です

2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

天地真理ではないけれど‥

昔々 天地真理がこんな歌を歌っていた。 ♪ ひとりじゃないって〜 すてきなことね〜 【1972年5月リリース『ひとりじゃないの』作詞:小谷夏 作曲:森田公一】表現(芸術)であり、技術であり、産業である映画は、 かつては大勢の人間がかかわってつくられるこ…

荒川洋治讃

荒川洋治に、はまっている。 荒川は、詩や文学は今〈視野狭窄〉に陥っていると指摘する。 他人事ではない。まずは2011年9月刊『昭和の読書』(幻戯書房)から‥‥ 「その作家のことだけをある程度知るだけであり、同じ時代に活躍した作家とのつながりには関心が…

映画は建築に似ている

先に少し、映画は建築に似ていると書いた。 もう少し、詳しく書いてみる。色々の専門家がそれぞれの持ち場に関って、みんなでひとつの建物を作る、という点で似ているといえば、分かりやすいだろう。 そのためには、きっちりした設計図と線引きの作業が必要…

vsキタノ シナリオとは何か

当たり前のように「福島原発 最悪のシナリオ」といった新聞の見出しを目にする。‥いつの頃からだろうか、シナリオという言葉が一般名詞のように使われるようになったのは。間違えないでいただきたい、シナリオは粗筋やストーリーではない。 その昔 世界的に知…

名前の由来

ここらで、ブログのタイトル『2ペンスの希望』の由来を説明しておきたい。『2ペンスの希望』は1951年制作のイタリア映画。1952年カンヌでグランプリを取る。日本封切は1962年8月。残念ながらVHSもDVDも発売していない(ようである)。…

JLG×山田宏一 映画史定説転覆

映画史の始まりは、1895年ルイ・リュミエールが撮った『列車の到着』だと云われる。記録映画の元祖がリュミエールであり、劇映画の元祖はジョルジュ・メリエスである― この映画史的定説に異議を申し立てる者がいる。JLG=ジャン-リュック・ゴダールで…

ドラマとドキュメンタリー

ごくごくまれにだが、いいフレーズをおもいついたなぁ と独り悦に入ることがある。 『ドラマは夢見るために見、ドキュメンタリーは目覚めるために見る』 数年前に、或る企画書の中に書いたフレーズである。 いい歳をして、ナルちゃん(?!)だね と笑わないで欲…

何も昔は良かったといってるわけじゃない

間違ってもらっちゃ困るが、このブログ、何も「昔は良かった」なんて繰言を言いたくて始めたわけじゃぁサラサラない。 周りには、映画は斜陽だ、もはや絶望的、ぺんぺん草も生えないと「お先真っ暗」派が多い。デジタルなんて不純、やはりフィルムでなくっちゃ…

映画のデジタル化

も少し、映画のデジタル化の話を続ける。デジタル化で先行したのは、「作る側」。 十数年前から、撮影、編集・仕上げの機材とスタジオのデジタル化が急速に進んだ。CGとの合成が多様になり話題になったのもこの頃からだと思う。プロユースから民生用まで、…

学校と研究者〜補遺

何も映画の学校が増えたからと言って、全員が映画のプロを目指すわけじゃない、文学部を卒業した学生が全員作家になるわけじゃない、そんなこと常識だろ、そうカッカしなさんな‥‥そんな声が聞こえてきそうだ。確かにその通り。 けど、 映画が「教養」や「研…

学校と研究者ばっかりがゴロゴロ

最近、映画を教える学校がやたらと増えた。 五十年ほど前には、僅かに日大芸術学部映画学科があるだけだった。その後、大阪芸術大学はじめ幾つかの大学に映像学科が作られ、今村昌平が日本映画学校(前身は、横浜放送映画専門学院。2011年四年制大学に昇格し…

誰もマエを見なくなった 其の3(余滴? 脱線!)

もう十年以上も前のことだが、熱心にテレビ番組を作っていたことがある。 その時、感じたこと。 日本で一番大きなN局は、皆ウエ(制作統括という名のCP=チーフプロデューサーや職場の上司エライさん)ばかりみてるなぁ。民放各局は 揃いも揃ってウエとヨ…

誰もマエを見なくなった 其の2(コヤ篇)

マエを見なくなったのは作り手ばかりじゃない。 映画館=コヤもまた同じだ。 といっても、多少内部事情を知っているのは、大手が経営するシネコンではなくて、 いわゆる単館独立系と称されてきたコヤに限られるが‥。 数年前に聞いた話では、東京の単館独立系…

誰もマエを見なくなった

先に「貧すりゃ鈍する」と書いた。 イマドキの映画はマエを見ないで、ウエとヨコばっかり見ている。 これはWebサイトで、HALTAN氏が繰り返し述べていることだが、 数十年前から日本の劇映画は、「節税」「メセナ」「前売券買取付」つまりはスポンサー…

こんな予告編も

これもまた懐かしい人には懐かしい予告編かも。 今は見る影もないが、大島渚監督。 チームで映画を作るハシリの一人だったことがよく分かる一篇。 (もっとも裏では色々ドロドロあったようだが‥。) いつの時代も、声が大きくて少々厚かましい人にばかり陽が…

ヒエラルキーなんてない

最初は、16mmフィルムによる建設記録映画だった。 1970年代から今まで、思えば色んな仕事をしてきた。 短編文化映画、広報映画、PR映画、学術映画から展示映像、 TVドキュメンタリーまで多岐にわたる。 劇映画も何本か手掛けた。 その間 35mmフ…

「作りやすくなったが食えなくなった」

この四十年間で強くなったのは「資本」であり、進化したのは「技術」だけ。 人間は置き去りにされた。置き去りになった。 で、結局どうなったのか。 「作りやすくなったが、食えなくなった」プロが成り立たなくなった。 ほとんど自業自得なのだが‥。 よそ見して…

映画が元気だった頃の思い出

名刺代わりに日本映画が元気だった頃の一篇を。 動画貼り込みの練習も兼ねて。お付き合い下さいな。

はじめまして

関西を拠点に四十年あまり映画の仕事をしてきました。 日本の映画の《液状化》に抗して映画言論活動を開始します。