2ペンスの希望

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ヒエラルキーなんてない

最初は、16mmフィルムによる建設記録映画だった。
1970年代から今まで、思えば色んな仕事をしてきた。
短編文化映画、広報映画、PR映画、学術映画から展示映像、
TVドキュメンタリーまで多岐にわたる。
劇映画も何本か手掛けた。
その間 35mmフィルムからビデオへ、アナログからデジタルHD、メモリー収録へと、 カメラもメディアも、変わった。

それでも根強く変わらないヒエラルキーがある。
“本編”とよばれる劇場公開劇映画を最上位に置くピラミッド意識・ヒエラルキーだ。

しかし、本当にそうなのか。劇映画がそんなにエライのか。PR映画や広報映画は駄目なのか。違うと思う。当たり前のことだが、劇映画にも出来のいい映画と全く駄目な映画がある。PR映画にも優れたものがあれば、拙いものもある。つまり、ジャンルによるヒエラルキーなんてないのだ。それでもフィルム信仰、劇映画信仰は根深い。ぼやぼやもたもたしているうちに、日本の映画状況は、死に瀕している、この基本認識から出発する。

次回より も少し具体的に語る。

おまけは、昭和の日本映画ひとつ。『赤信号』だよ。