2ペンスの希望

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日かげ

『日本短編映像史―文化映画・教育映画・産業映画―』続き。
著者の吉原さんは、
「(短編映画)検討の出発点として、商業的な映画館で独立した興行の主役となれる『長編』に必要とされる長さに及ばないものとしてみた。長さからの定義にみえるが、むしろ作られ方や使われ方から考えていくための設定である。長さに関係なく、映画館以外の場所での使用を想定して製作される作品と捉えて頂いてもよい」と書いている。業界を知らない方々には、もってまわった言い方で分かりにくいかもしれないが、身を置いた事のある人にはよく練られた有意な文章であることが伝わると思う。先の頁では、長編劇映画に比して、「日かげの映画」(サンデー毎日1957年6月2日号見出し)という表現も引用されるが、本では、
「文化映画、教育映画、教材映画、児童映画、漫画映画、ニュース映画、記録映画、ルポルタージュ映画、ノンフィクション映画、ドキュメンタリー映画プロパガンダ映画、科学映画、医学映画、技術映画、訓練映画、広報映画、広告映画、PR映画、産業映画など‥」が挙げられ、「これらの言葉はそれぞれ異なる視点から生れたものであるから、詮索しても意味のある概念が導かれるわけではない」と註されている。
さらに付け加えるなら、美術映画、実験映画、純粋映画、前衛映画などもあろう。かつては小型映画(8mm)というのもあった。別の位相からは、Vシネ、ピンク映画、ブルーフィルム、AVなども挙がる。数え方次第では、もっともっとあるだろう。
拙の主張は何度か書いてきたが、個々の出来不出来、優劣はあっても、ジャンルによる上下は無い、ということだ。だからこそ、全部映画、全部見たい
目の欲望とはそんなものだ。