2ペンスの希望

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学校と研究者ばっかりがゴロゴロ

最近、映画を教える学校がやたらと増えた。
五十年ほど前には、僅かに日大芸術学部映画学科があるだけだった。その後、大阪芸術大学はじめ幾つかの大学に映像学科が作られ、今村昌平日本映画学校(前身は、横浜放送映画専門学院。2011年四年制大学に昇格した)を始めた。こうした学校からは、映画のプロも何人か出た。それでもそんなもんだ。
それがこの十年、雨後の竹の子のように映画の学校が出来た。東京を中心に全国各地に四年制大学とそれに倍増す専門学校が林立する。老舗の映画雑誌キネマ旬報を開いてみればよく判る。そのたぐいの学生募集広告が満載されている。あの東京藝術大学の大学院にも映像研究科も出来た。
こうした学校の〈教授〉陣には、現場現役の映画監督が多数居る。むしろそれが売りだ。本物のプロが教えます、さあ卒業したらあなたも映画(業界)人。監督への道はすぐそこに‥なんて、ほとんど詐欺スレスレではないか。(言葉が不穏当ならご容赦)
そんなに増えてどうすんの。
卒業したって映画の仕事に就ける保証なんて何処にもないのに。
だって観客はまるで増えていないし、産業としての映画は壊滅状態だというのに‥。
現役監督がガッコのセンセをやるのは、本業がヒマで稼ぎが少ないから。先生業で糊口を凌ごうという思惑がゼロだとは言わせない。
映画監督になる前に、まず優秀な助監督になるべきだ。なのに映画の教育機関はいきなり監督になれるという幻想を与える」これは澤井信一郎の言葉だ

もひとつ 
近ごろ目立つのが、「映画研究者」という人種だ。
批評や評論じゃない、研究。
「言説」やら「エクリチュールなんぞという分かったようで分からぬ言葉遣いで、持って回ったゴタクを捏ね繰りまわし、独り悦に入っている専門バカの類である。学問の効用について認めぬわけではないが、研究を百積み上げようが二百重ねようが、血湧き肉踊る映画の肉体は蘇らない、と心得おきたい。

今日もオマケなし