2ペンスの希望

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映画のデジタル化

も少し、映画のデジタル化の話を続ける。

デジタル化で先行したのは、「作る側」。
十数年前から、撮影、編集・仕上げの機材とスタジオのデジタル化が急速に進んだ。CGとの合成が多様になり話題になったのもこの頃からだと思う。プロユースから民生用まで、多様な機器ラインナップが出揃った。

そして、ここ数年、「見せる側」でのデジタル化が急進した。
DCPとか、VPFとか、横文字略語が踊っている。
何のことかはここでは説明しない。
大空テント(今は改名して「テント」らしいが‥)のギャグではないけれど、
「分からん人放っときますよ。いちいち説明しませんよ。義務教育やないんやからね」
要は、フィルム上映を終了させて、デジタル配信での映写に変わるよ、そのための設備を導入してね、35mmのフィルムは今後は焼かなくなるから35mm映写機は撤去してね、場所もないし‥ということだ。資本力のある大手シネコンはこぞって導入が進んでいる。設備投資資金を調達できない独立単館系といわれる劇場(いわゆるミニシアター)は、困った困った、どうしようどうしようと右往左往しているようだ。

ココから先は推測も含んで書くが、
恐らくデジタル化の狙いの一つには、間違いなく劇場特にシネコンあたりを中心に、映画ではなくスポーツイベントなどのリアルタイム同時中継ビジネスで集客を広げようという目論見がある。サッカーや野球ボクシングなどのパブリックビューイング囲碁将棋の本因坊戦なども有力候補だ。舞台中継もある。すでに一部の劇場で、爆笑問題の漫才ライブが流れているという話しも耳にする。
事ほど左様に、映画じゃなくったって良い、という訳だ。
毎日終日映画しかやらなかった映画館が、多彩なビューイングシアター(?)に進化する?!(複数スクリーンをもつシネコンはいいが、1スクリーンしか持たない地方の独立単館系はどうする、置いてけぼりか、UST辺りと組んで市民型(?)中継メディアを構築するか‥議論は出てる。まだまだ机上の思いつき・アイディア段階みたいだが‥。

もうだいぶ以前からだが、映画とか映像商品という言い方が
ソフトとかコンテンツとかいう言葉に変わってきて、違和感がぬぐえなかった。生来の横文字アレルギーのせいもあるのだが、なんだか生産物のすべてを「換金作物」みたいに呼ぶようで馴染めないできた。それがココに来て雲が晴れた。そうか、皆が映画命(えいがいのち)というわけじゃぁないんだ。

こうした流れに、ミニシアター支持派からは批判の声も上がっている。一元化で殺がれるもの、淘汰されるもの・駆逐されるものがあってはならない。多様性を保証することが大事‥映画は文化だ、ミニシアターの火を消すな、というのだ。気持ちは分かる。確かにその通りな部分もある。しかし、この数十年何をしてきたの、ぼやぼやしてきたツケが回ってきただけじゃないの、という気持ちもある。
いっそ滅びてしまえ、後は野となれ山となれ、という気分も首をもたげる。焼け野原に草が生え、群盗が現れればそれでよい、という乱暴な思いにも駆られる。

ということで 
今日のオマケは沖島勲『一万年、後‥‥。』

なんだかDVDの発売時期と微妙にリンクしてるみたいで
宣伝みたいに見えますが、その意図はありません。為念。もっとも宣伝になったって一向構いませんが‥沖島監督嫌いじゃないし。