2ペンスの希望

映画言論活動中です

何も昔は良かったといってるわけじゃない

間違ってもらっちゃ困るが、このブログ、何も「昔は良かった」なんて繰言を言いたくて始めたわけじゃぁサラサラない。
周りには、映画は斜陽だ、もはや絶望的、ぺんぺん草も生えないと「お先真っ暗」派が多い。デジタルなんて不純、やはりフィルムでなくっちゃぁ、という純粋フィルム主義者も居る。確かに、フィルムとデジタル映像では、醸し出す質感も空気感も違う。だが、選択肢や可能性が広がることは基本的にはウエルカムだ。「技術」のデジタル化がもたらした「私にも写せます」状況は、歓迎する。

仕事を始めた頃に比べ、映画は確実に安く作れるようになっている。
実感では二桁落ちたように思う。撮影カメラでいえば昔数千万円していたフィルムカメラが数百万円台になり、今や数十万円で昔より高機能のデジタルカメラが手に入る。慶賀の至りである。
問題は、作られている映画の中身だ。作り方・見せ方が硬直化してどんどん萎縮・貧相になっているんじゃないか。昔は良かったなんていう嘆き節・恨み節を口にしている暇があるのなら、頭をひねって知恵を出して腕を磨く方が良い、という訳だ。ぺんぺん草も生えない荒野なら、もういっぺん、土を掘り起こして、石を取り除き、種を蒔いて水を撒き肥やしをやって作物を育ててみればいいじゃないか、心底そう思う。

と、ここまで書いて、突如、昔々作った「大工道具」の映画のことを思い出した。
ある宮大工さんの言葉。
「機械道具なんて使えねぇ、やはり手道具じゃなきゃぁ本物じゃねぇ‥そんな口をきく奴に限って腕は中途半端、道具も大切にしない。ろくに研ぎも出来ない。道具箱も汚れてる。
使えるものなら機械式でも手道具でも何だって使える方がいいに決まってる。」そう語る宮大工さんの道具箱は、見事に美しかった。研ぎこまれた鉋や鑿の隣にマキタの電動ノコがピカピカに手入れされて入っていた。気持ちがいいほど整頓されていた。

映画館のデジタル化が急速に進んでいる。
ここ数年の内に35mmフィルム上映が難しくなる、と映画館は戦々恐々だ。崖っぷち。独立単館系の映画館からの悲鳴も聞こえる。ここでも 以前に書いた大分市の映画館支配人Tさんの発言はマットーで貴重だ。
「(たかだか)機材が移行しているだけで、価値観が移行しているわけではない。むしろ価値観が旧態依然で変わっていっていないことの方が問題だ。デジタル革命だ、どうしよう、どうしようと右往左往してるばかりで、革命がおきていないことが問題。価値観を変えようという動きがどこからも起きていないのがおかしい。我々がデジタルを使ってどんな新しい映画環境を作り出すことが出来るかが問われているんだ」(シネレボ2011年11月24日開催のシンポジウム「デジタル化による日本における映画文化のミライについて、part2」での発言要旨より引用)
全くその通り。
「昔は良かった」なんて言ってたって つくづく何も始まらない。