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JLG×山田宏一 映画史定説転覆

映画史の始まりは、1895年ルイ・リュミエールが撮った『列車の到着』だと云われる。

記録映画の元祖がリュミエールであり、劇映画の元祖はジョルジュ・メリエスである―
この映画史的定説に異議を申し立てる者がいる。JLG=ジャン-リュック・ゴダールである。「映画史の「読み直し」の試み」の中で山田宏一はJLGの発言に注目して、こう述べている。【註1】
写真家であったリュミエールは、列車の到着を最も効果的かつ正確に捉える映画的構図を熟知していた。
既に、「作り上げ・創造する方法」を駆使していた。その根拠は、リュミエールのもうひとつの有名な映画『庭師(別題:水を撒かれた庭師)』に現れている。 
子どものいたずらでホースを踏まれた庭師が水浸しになるというこの映画こそ世界最初の喜劇映画であり劇映画であった、というのだ。

では一方のメリエスは何を撮ったのか。
メリエスの1902年『月世界旅行
「彼は実況中継のように月世界を撮った」これがJLGの主張だ。
「メリエスはニュース映画をつくっていたのだ。たぶん再現されたニュース映画を」
リュミエールは記録性、メリエスは空想性という短絡的定義は訂正されねばならないJLGと山田宏一はそう提案する。
山田宏一は、別のところで書いている。
作り上げ、創造する方法。これは〈働きかける〉原理。そしていまひとつは発見し、解き放つ方法。これは〈なすがままにしておく〉という原理。 【註2】
JLGは、別のインタビューでこうも語っている。
だれもが言っていることとは反対に、映画は本質的にはスペクタクル(見世物)ではない。思考の一形態なんだ。見ることによってある特別のやり方で思考するという映画の機能は、トーキー映画の出現以降はほとんど活用されてこなかった。そして衰弱してしまった。」【註3】

「発見」か「創造」か、「探求」か「見世物(スペクタクル)」かといった二律背反、不毛な二者択一の黒い罠を逃れて、映画の根源へ、今こそ映画の始原に立ち返ることが求められる。
もっと貪欲に、もっと猥雑に、強靭な胃袋と腕っ節の強さをこそ!

                  ちょっと青筋立て過ぎた、肩に力入り過ぎかも‥反省。

【註1】: 山田宏一「映画史の[読み直し]の試み」(初出 月刊「草思」1999年5月号)
【註2】: 山田宏一「ドキュメンタリーと劇の位相の差」(初出 月刊「草思」2004年3月号)
‥‥ともに 単行本『何が映画を走らせるのか?』(草思社2005年11月刊)所収
【註3】: 〈ル・モンド〉紙1987年12月30日付掲載ダニエール・エイマンによるジャン-リュック・ゴダール インタビュー(訳 奥村昭夫 1989年12月雑誌「ユリイカ」臨時増刊ヌーヴェル・ヴァーグ30年 掲載)