2ペンスの希望

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辞書を引かなくてもいい映画

昨日、山田宏一さんインタビューによる和田誠さんのコメントを引いたが、その続き。【1985年キネマ旬報第833号記事「観客の椅子・監督の椅子」】
和田  わかりにくい映画がふえたことが、映画ファンを狭めたと思う。そういう新しさが好きなファンはもちろんいるんだけど、少数でしょう。そういう映画は必要だと思うけど、会社の帰りに映画を見よう、学校の帰りに映画を見ようという普通の映画ファンは、わかりやすくて、二時間ほどたのしんで、というのが大部分だと思うんだけども、映画が難解になってきてから、そういう人たちが映画館から離れていってると思うんだ。
この発言から既に三十年、映画はますます難解になり観客の足は遠ざかるばかり。
コンテクスト消費たらデータベース消費たら言うらしいが、そんな「辞書を引かないと分からないような」映画は願い下げだ。「辞書なんか引かなくても面白い」映画、誰が見てもそそられ楽しめる映画は、もはや無いものねだりなのだろうか。
  (註:「辞書を引かなくてもいい映画」という言葉は、或る女性がふと漏らされた名言。   最近知った。言い得て妙、分かる人には分かる。ということで無断引用させて戴く)