2ペンスの希望

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誰もマエを見なくなった

先に「貧すりゃ鈍する」と書いた。
イマドキの映画はマエを見ないで、ウエとヨコばっかり見ている。
これはWebサイトで、HALTAN氏が繰り返し述べていることだが、
数十年前から日本の劇映画は、「節税」「メセナ」「前売券買取付」つまりはスポンサーにオンブにダッコで、マエを見なくなってしまった。マエとはすなわち観客と未来。「映画館のマド(窓口)でお客さんからお代をいただいて映画を見せる」というマットーなイトナミが無くなった(する必要が無くなった?)」ということだ。
「映画を作ったお金が回収できること。それが次に繋がっていくこと」が成り立たなくなっている、と大分市の映画館の支配人Tさんは指摘している。
大方の劇映画製作会社や企画プロデューサーは、マエ(観客)なんか見ないで、お金を出してくれそうな外部企業・スポンサーつまりウエばかり見ている。
カントクやスタッフ作り手たちは、とにかくどんな形であれ自分の映画が撮れればそれでよし、お金の出所なんかどうでもいい。
大事なのは、仲間内での評価・評判‥気になるのはヨコばかり。
資金をかき集めて初号試写に漕ぎ着けた時には、収支勘定は終わっている。
赤字なら出資者に言い訳して泣いてもらう、節税・メセナになって広報広告効果も生まれたのだからお安いもの・赤字なんて十分カバーして余りあるよ、と嘯いておしまい。TV局や新聞社・出版社・代理店など媒体関連の出資社は、札(フダ=サツ)を張っているかぎり広告出稿や番宣効果で実利的リターンが見込める、劇場での入りなんかどうでもいい(どうでもいいが言いすぎなら、大勢に影響しない)と考えている。
なんのことはない、公開前に勝負は尽いているという訳だ。

結果、作られなくてもいい映画、見せなくてもいい映画(見せてはいけない映画!)が大きな顔して歩いてる。
以下続く。詳しい話は、次回に。

今日は、懐かしの二本立て。
1962年 勅使河原宏の『おとし穴』

1957年 市川崑の『穴』

さて、どちらがお好みか?
ん?ワタシ? 
ワタシはダンゼン『穴』派です。