2ペンスの希望

映画言論活動中です

後ずさり

ブログを開始して一年近く、初めて年越しを迎える。
正直、こんなに怒りっぽい性格だったとは思わなかった。
苦言や泣き言、愚痴や嫌味の多さに改めて驚く。読まれて気分を害した方もおられたことだろう。それもこれも映画への愛ゆえの勇み足、そうお考え戴き、ご海容願いたい。
本人はいたって性格温和、丸い人間だと思ってきたのに‥どうしてどうして、十分ひねくれ者だと自覚させられた。
書くことで気付かされたことは幾つもあるが、はっきりしてきたことを一つだけ書く。
「映画のOSが変わったということ」だ。若かりし頃に出会った映画とはOSが変わった、好き嫌いではない。そう認識することから、新しい映画を生み出さなければ、映画の命運は尽きる。大袈裟ではなく、そう考え始めている。
新作を準備中の倉敷在住の映画監督は、常々からこう主張している。
映画史は書き換えられねばならない。リアリズムに囚われない新しい映画、新しい映画史を!
異議なし。まったくその通りだ。
OSは変わった。けれど、新しいOSを踏まえた新しい映画、新しい映画論は、まだ登場していない。何が変わり何が変わらないのか。何が通用しなくなり何が受け継がれていくべきなのか、必死に考えることだ。なのに、皆、暢気すぎる。無責任すぎる。(ことほど左様に情況は末期的・絶望的いうことなのだが‥)

映画論、映画本質論、表現論、文体論、文法論、技術論、演出論、演技論、スタッフ論、観客論、批評家論、研究者論、歴史論、産業論、流通論、経済論、教育論、メディア論、映画館論、‥‥映画を巡って‥論ずるテーマは多い。

「明けない夜はない」とか「夜明け前が一番暗い」とかの気休め、慰めは言わない。言いたくない。
「後ずさりしながら未来に向かうしかない」そう思っている。
      夜明けは遠いのか、近いのか、それ以前に、そもそも、夜明けなど来るのか。
‥‥最後は何やら安物の小劇場演劇のセリフみたいになってしまったが‥来年も続ける。白けず、呆れず、伴走を宜しくお願いしたい。
何処までいけるかは分からない。それでも、少しずつでも、前向きな光を見出していきたい。  読者諸賢の心身ともに健やかな越年を願います。