2ペンスの希望

映画言論活動中です

手本なし

もはや、同時代なお手本も目標も判断基準も無い。目指すべきメジャーも無い。
個々人は別にしても、業界全体で眺めると本気で映画の未来を考えようとしているとはとても思えない。有象無象の製作会社も職能組合も業界団体も。明日のことは考えても、明後日のことなんか知らん振りだ。余裕が無いのか能力が無いのか(たぶん両方だろうが)。自己保身と延命しか眼中になさそうだ。評論家はその日暮らしの日向ぼっこ。急増した自称・研究者は、訓詁学者ばかり。今の時代に興味は無いのか。(研究者・学者といえば、聞こえはいいが、それじゃあ出来損ないのオタクじゃないの)
佳き時代を経験して、“逃げ切り”が出来る世代はそれでもいい。(いや 本当は良くないのだが‥)昔は良かったと嘯き嘆いていれば日は暮れる。しかし、若い世代はそうはいかない。先行世代が彼らに手渡すものが無いのだろうか。
いや、わしらの時代だって同じだった。先輩が何かしてくれるのを待つのではなく、自分で工夫し、自分で盗みに行ったものだ、若い世代に何かしてやるなんておこがましい。思い上がりだ。本当にやりたい奴等は、焼け野原から自力で這い出してくる。‥そんな想いも頭をよぎらぬではない。ただ、たまに若い人の映画を観る機会があるのだが、大人しいという小器用というか、萎縮しているのが気になる。映画ゴッコや映画もどきはいい加減止めにしたら‥と言いたくなる。
触れると火傷しそうな映画に出会いたい
そのために、先行者として若い世代に伝えておくことが沢山ありそうに思うのだが‥。
作り手として、観客として、批評家として、つまり先行する「映画人」として。
嗚呼、今日は柄にも無くエラソーでタイソーな物言いになってしまった。抽象的なのも反省。