2ペンスの希望

映画言論活動中です

身も蓋もない

身も蓋もない話だが、才能はお金の集まるところに集まる。
かつて撮影所は狭き狭き門だった。数人の助監督採用に何百倍何千倍の人が集まった。それが、テレビ局に変わり、広告・コピー業界から、音楽、マンガ、ゲームへと移っていった。いまならお笑い芸人やタレント予備軍というフィールドもある。力を試したい奴、有名になりたい奴等が集まった。業界には彼らを遊ばせ育てるだけの金と余裕があった。もちろん勘違い野郎はどこにでもいた。それでも激しい競争の中でふるい落とされていった。いまや映画界は、隅っこの番外地。脚光どころかまともに陽も当たらない。活動の場は、学内かストリートだけ。たまに一本釣りされてメジャー(と称する過去の亡霊)に大抜擢(!?)されても後が続かない。折角チャンスをやったのにあいつはダメだと烙印を押され、使い物にならないと即お払い箱。育成する気なんてさらさらない。若い才能は芽を出すか出さないかのうちに潰れる。残念だがこれが現実だ。貧すれば鈍するとはよく言ったものだ。けど、嘆いていても事態は変わらない。
むしろ、「いっそ健やかになった」と胸を張りたい。 三つ書く。
一つ。
目端が利く奴・すばしっこい奴は映画なんか鼻にも掛けなくなった(‥んじゃあないか。ヒガミっぽくそう思っている)。猫も杓子も我も我もと映画を目指すことがなくなり、本当の映画好き(映画の毒のまわった連中?)しか集まらなくなった。確信犯はのぞむところだ。
二つ。
機材費材料費の低価格化によるコストダウンが進んでいる。(これは功罪半ばだが、今日のところは功にのみ注目する)。作りやすくなった。届け方・見せ方も拡がった。
三つ。
情報環境の変化は、マスコミュニケーションに頼らないもう一つのコミュニケーションネットワークを生みつつある。(これも発展途上で功罪半ばなのだが‥)スピードが加速し、短絡化した。爬行的ではあろうが有名性への距離はつづまった。 例えば、音楽業界。ストリート・ミュージシャン、インディーズからのメジャーデビューが常態化し、ライブ活動と手売りCDしか作らない音楽家が少なからず登場している。
好機だとはとても言えないが、悪くはない。そう思う。思いたい。
ただし、参入障壁が低くなった分、淘汰と選別機能が落ちていることも確かだ。
自閉自足は要注意だ。