今日は、山根時評とは別の話。
ラジオで聞いただけのうろ覚えなので正しいかどうかは分からない。けど、印象的に耳に残っているので、書いてみる。朝の番組のゲスト出演していた高石ともやさんが生前親交のあった小沢昭一さんのエピソードを即興の唄にして披露していた。小沢さんに誘われて逮捕前の一条さゆりのストリップを観に行った時、小沢さんが言った言葉。
「ストリップは、恥ずかしさを恥ずかしそうにそっとみせるんだ。これ、芸の基本だよね。」(小沢は間違っている・ストリップ差別主義者だ。ストリップ何が悪い、何が恥ずかしい、と誤解して、あらぬ方向に捻じ曲げる民主主義者の皆さんもおられるかもしれない。よって)断っておくが、小沢昭一さんは、ストリップを恥ずかしいことだといっているわけではない。
すべての表現(=芸=芸能=芸術)は、「恥ずかしさ」を「恥ずかしそうに」「そっとみせる」ことに基本がある。そう言っているだけだ。これ、かの世阿弥さんの「秘すれば花」と同じことではなかろうか。
ストリップも能も、もちろん映画も、「恥じらうこと」を忘れては宜しくない。