2ペンスの希望

映画言論活動中です

距離

映画は距離だ。そう思う。
見ることは、何がしかの距離を置くことに他ならない。空間も時間も‥、
ときに遠く、ときに近く‥。
見ることと見られること。向う側とこちら側。彼岸と此岸。その隔たりは決定的だ。
映画館で臨場感に包まれながらもスクリーン(モニター画面)の向こうには誰も居ない。
距離は、スクリーンと観客席の間にだけあるのではない。
カメラを挟んだスタッフとキャストの間、ここにも見るものと見られるものの厳然(現前)。光と影。見るものは闇のこちら側に立つ。血を流さず安全地帯に身を潜め、息を殺して官能を堪能する。覗き見。(撮影機と映写機を介して、見るものとしての作り手=スタッフと見るものとしての観客の共犯・交情という話も出来そうだが‥此れはまた別に。)
光の側にも距離はある。見られるもの同士・役者のつばぜり合い・競演・キャストたちの距離・力関係・位置関係もある。人物たちと風景や自然との関係・距離も計測される。
闇の中のスタッフ間の距離も微妙に作用する。その末の化学変化。サイズやアングルやポジションを巡るせめぎあい・確執。撮影現場とプリプロダクト(企画・設計、脚本、事前準備)、ポストプロダクト(ポスプロ=編集・録音・仕上げ)の間にも物理的・心理的距離が横たわる。初号が上ってからの配給・宣伝・公開に要する距離も短くはない。
けだし、映画の距離は、多彩で複雑だ。そのあたりが他とは異なり、陰影は深まる。
距離とは、間合いであり、すき間・行間でもあろう。カットとカットの間にも距離がある。
映画には、必要以上に縮めてはいけない距離がある。」 或る映画監督の言葉だ。
映画の成分その2として、「距離=間」を挙げる。