2ペンスの希望

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場・現場・臨場

映画の組成・成分その3は、「場」について。 場。映画の現場。現場がすべて。
映画は、結局「目の前の物を映すこと」なのだ。
現場に調達されたもの・用意されたもので勝負するしかない。
ないものは映せない。 あるもので作る。 そう思ってやってきた。
つまりは「居ること・居合わせること」が何より重要。臨場こそ命
NDU(日本ドキュメンタリストユニオン)の井上修さんは言う。
今は誰でもがドキュメンタリーが出来る時代。只ひとつ、唯一の条件は、そういうテーマの現場に居合わせること。しかしそれは至難の業。自分ひとりでは出来ない。
それは必ずしも決定的瞬間を狙う・待ち受けることではない。
むしろ、日常に流れる気配・空気が撮れるかどうか、の方がはるかに重要だ。
空気も時間も匂いも‥‥場にあるすべてを丸ごと記録する。過剰も不足もそのままに、雑なるものも余計なものも、丸呑み。なりゆき次第の現場主義。
無責任な外野からはその場しのぎ・その日暮らしと批判も飛ぶ。しかしである。
現場を離れてどんな現実があるのか、逆に訊いてみたい。
現場に結集する力のベクトル、その総和が映画を押し上げ、何処かに連れて行く。
だから、アニメやCG、VFXには食指が動かない。食わず嫌いと云われようと、苦手、敬遠してきた。無色透明・無味無臭 プラスチックはゴメンだ。(プラスチックにはプラスチックとしての魅力・良さがあることは否定しない。ただ趣味じゃない、という話。)
いくら料簡が狭いと言われようとも、場の力が働かないものには、唆(そそ)られない。