2ペンスの希望

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「小説なんか誰にだって書けるんだが‥‥」

藤谷治『こうして書いていく』引用シリーズ(=ラクチン手抜きバージョン)
三つ目 「小説なんか誰にだって書けるんだが‥‥」から。
つまるところ小説を書くには、ずっと座っているしかない。
ずっと座っていても書けない、という話をよく聞くが、それは単に座っている時間が短いだけである。一時間、あるいは二時間、座っていればいいというわけではない。書けるまで座っていればよい。書けるまで座っていると決めたら、書けるのは当然だ。そんなに座っていられないということであれば、つまり小説は書けない。私は書けるまで二十年座っていた。
(中略)
とにかく私はそう思っていた。小説には書くより他に作法はないと。(中略)  だがつい最近、この原則にひとつ付け加えてもいい作法、というか、発想法を、自分がしているのに気がついた。(中略)
それは「動機」を展開させて書いていく、という方法である。動機というのは西洋音楽の用語だ。(動機=モチーフmotif:仏語 「独立した楽想を持ったいくつかの音符ないし休符の連なり・最小単位」‥説明はウイキペディア) ベートーヴェンの第五交響曲の、ジャジャジャジャーン!という一発目のあれ、あれが動機である。あの交響曲の第一楽章は、全篇ことごとくがあのジャジャジャジャーン!で出来ているといっても過言ではない。さらに交響曲全体にも、ジャジャジャジャーン!という動機が用いられている。
驚嘆すべき単純さである。それなのにあの交響曲は、全然単調ではない。なぜか。動機が展開されているからである。最初のジャジャジャジャーン!はハ短調だが、それを長調にしてみたり、小さい音でしてみたり、ホルンで吹いたり、他のメロディの伴奏にしたり、ジャジャジャジャーン!ジャジャジャジャーン!なんてたたみかけたりすることで「ジャジャジャジャーン!」という動機の持っている可能性を徹底的に引き出して、大きな音楽を作っているわけだ。
私はしばしば、このやり方を小説創作に応用している。つまり、‥‥

疲れたので、今日はここまで。 続きは明日。
例によって、小説⇒映画に置き換えて、どうぞ。