2ペンスの希望

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マルチタスク

「20世紀は分業の世紀だった、21世紀は統合の時代になるだろう。」
昔だれかがそんなことを言っていた。(気がする。)
撮影所の映画は、分業の産物だった。数多くの職能者がそれぞれ関連する作業を専門的に分担・分掌するシステムだった。それが様変わりした。カントクが脚本を書き、キャメラを廻し、照明・編集は勿論、録音から美術・音楽までを手掛ける。マルチタスクのワンマンショー。オールラウンドプレーヤー。もとより、昔から個人映画・小型映画・実験映画という括りで語られる「映画作家」は存在した。しかし、
時代は、単能工から多能工と変わった。
良い悪いを云々したいわけではない。ただ、メリットもデメリットもあることは確かだ。
映画産業は、とうの昔に次世代育成・教育を放棄してしまった。(ように見える。)
放っておいてもやりたい奴はワンサカ湧いてくる、使える奴さえ残ればいい、使い倒してお払い箱。まぁ、どの世界も事情は似たようなものだろうが‥。
かくして21世紀の今、生え抜きの「正規軍」はほぼ絶滅した。(いやいや、学校があるじゃない、たくさんの専門学校や大学・大学院出がいるじゃない、というアナタに質問。学校を出ただけで、使いものになるのがいるかい、仕事が出来る奴がどれだけいる?
アナタが大人なら、社会人として通用するために学校がどれだけの役割を果たすのか=果たさないのか、については良くご存知の筈だ。)
正規軍なきあと、すべての戦闘はゲリラ戦となった。カントク以下すべてのスタッフはゲリラ兵士たらねばならない。銃も扱えば食糧調達にも走り回る。長期戦も辞さず、後方支援や兵站業務も担う。一人何役は当たり前。「マルチタスク上等!」といわねばなるまい。ただし、条件はある。
ゲリラ戦では、素人の不手際、油断は致命傷となる。周到でレベルの高い技能水準が求められる。見よう見まねのハンチク仕事では何の役にも立たないと心得るべし、だ。
もう一つの条件。
単独行ではいけない。連携・連帯・ネットワーキングが時代を変えていく。(と思う。)
ちなみに、本『映画はどこにある』にも、そんなマルチタスクの面子が何人も登場する。編集した森宗厚子さんも、執筆・映写・映画祭プログラマー等をこなすマルチプルプレーヤーだ。