2ペンスの希望

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あれもこれも

昨日、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」の時代の到来について書いた。
二十世紀が終わる頃、ぼんやりと考えていたことがある。二十世紀という「分業」の世紀が終わって、これからは「統合」の時代になるんじゃなかろうか、何となくそんなことだ。効率や経済性が重視される時代には、「分業」が持て囃されるが、その行き詰まりから「統合」の世紀が始まるのでは‥という予感があった。
映画の仕事に引き付けていえば、丁度その頃から「監督でござい」「演出一本で」という身の処し方では飯が食いにくくなってきた。「企画」でも「制作」でも何でもやりますよ、何なら「撮影」も「照明」も「録音」も一人でこなしますよ、「編集」はもちろん引き受けますよ、という具合に。「単能工」から「多能工」へ。技術革新を背景にした「多機能工」化が加速した。それはまぎれもなく労働強化、ワーキングプアを生み出すのだが、一方で、本来的な人間に戻りつつある姿ではなかろうか、そう思い返すことも増えた。(単にボケただけ、歳を喰って丸くなっただけ、という野次も聞こえてきそうだが‥無視)
もともと人間という生きものは気が多い生物なのだろう。その気の多さが「文化」とか「文明」を作り、「遊び」を生み出したとも‥。 とするなら、
あれかこれかより、あれもこれものほうがずっと自然で健康的だともいえそうだ。
もっとも、昨日も書いたが、どれもが中途半端、アマチュアに毛が生えたやっつけ仕事、言い訳や逃げ口上に終わったのでは目も当てられない。