2ペンスの希望

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「ホンモノ」という記号

現代演劇についてはトンと不案内だ。
或る雑誌を読んでいたら、今流行りの演劇潮流について高山明さんという四十代の演出家が苦言を呈していた。【「ドキュメンタリーカルチャーマガジンneoneo 02 」2013年4月発行】
ドキュメンタリー映画にも関連する発言なので引用する。
今世界的に流行っている演劇は、ドキュメンタリー・シアターと呼ばれるものなんです。当事者=ホンモノを舞台に上げて、作り手はそれがホンモノだというアリバイのもとに物語をつくる。でも舞台に上げてしまうと、ホンモノは「ホンモノ」という記号になってしまうんですね。(中略)記号だから操作は簡単だし、物語だって作りやすいわけですよ。
高山さんは続ける。「映像ならその人の時間や空気が映りこむけど、舞台ではそうならない」「ホンモノですよ、という手続きだけのアリバイで「つくりもの」であることを隠蔽するかたちでイリュージョンを見せていく。肝心のドキュメンタリー性は当たり障りのないものに去勢されるから安心して見ていられる。だから流行るんでしょう。」と。
事情は映画も演劇も似たり寄ったりだろう。ホンモノですよ、実話ですよ、嘘ではありませんよ、によりかかった安易で恣意的な「でっち上げ。嘘八百」すべての「つくりもの」が避けては通れない道だ。
では、どうするのか。高山さんの考えはこうだ。「ドキュメンタリー・シアターがやるようなホンモノ性に安易にすり替えないで、(逆説的だが)プラスチックみたいな交換可能性や記号性、それから複製可能性にひたすら留まることが別の扉をひらいてくれるんじゃないかと。
ホンモノとは程遠く一見対極の「交換可能性」、「複製可能性」というキイワード!
トリッキーでアクロバチックだが、そそられる。