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『高峰秀子の言葉』

斎藤明美さんが書いた『高峰秀子の言葉』を読んだ。【新潮社 平成二十六年一月三十日 刊】斎藤さんは、元週刊文春の編集記者。五十歳を過ぎた二〇〇九年松山善三高峰秀子の養女となった。高峰の最晩年に伴走し、善三の世話を任される信頼を得た人だ。「わかる人は言わなくてもわかる。言わなきゃいけない人は、言ってもわからない」など三十の言葉が並んでいる。ハッキリ言って、それだけを取り出せば何ていうこともない当たり前の言葉が並ぶ。しかし、斎藤さんのペンが、言葉の奥にある高峰秀子の実人生(養母をはじめとする親族血縁との角逐)を語り、そのブレない生き方(大女優としてのそれではない)を伝えるエピソードを遠景に配すると、読み物として出色なものになった。高峰は、代表作のひとつに挙げられる或る映画について「演っていてつまらなかった。あれ(主人公の女性)は、私でなくても、誰でもよかった」と語ったそうだ。腹でそう思っていてもそこまで語る女優は稀だ。斎藤さんは綴る。「高峰秀子は女優という仕事を好まなかった。ただ、仕事だから演った。そして仕事は全力でやるのが当たり前だと考えていた。」「(斎藤)は、高峰の物言いが好きだ。伝法だが、品がある。言葉に嘘がなかった。飾りや、婉曲、蛇足が、全くなかった。」「観察眼と洞察力」‥様々な言葉で、阿(おも)ねなかった人・高峰秀子を語る。オススメ。
それにしても子役時代から五十五歳で引退するまでの出演映画が三百十九本というのには改めて驚かされる。