2ペンスの希望

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「何でもあり」 だが

好み、好き嫌いは別にして、参った・恐れ入りました、とシャッポを脱がされてしまう映画が確かにある。自分には合わないけれどスゴイ、敬して遠ざけるだけだが。
そう考えていくと、やはり、映画は「何でもあり」「やったもん勝ち」という話になってくる。とはいえ、出鱈目・無茶苦茶ではいただけない。語本来の意味での「こだわり」を持ち、成果物にそのこだわりの持続と達成=結晶化がみられるかどうかが問われる。出来損ないではかなわない。受け取れない。「それじゃあ何でもありじゃないじゃん」という声もあろう。けど、それこそ、もの作りの怖さを知らない無邪気で無責任な言い草だ。
無自覚・無内容と自由は違う
こんな初歩を繰り返さなければならないほど、幼稚化が深刻化している。
ご当人が悪いのか、取り巻きのせいか、時代の不幸なのか。多分その全部だ。