2ペンスの希望

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スタッフ論 屋上屋 (集団制作物)

映画は、文学や美術などの単独行(単独工かな?)とは異なる集団制作物である。
かたくなにそう思ってやってきた。もっともジョナス・メカスさんや飯村隆彦さんのような“映画作家(映像作家)”は昔から多数おられた。機材と技術の軽便化・簡略化によって最近は個人制作が格段に増えていることも十分承知だ。それでも管理人には、音楽と同様に、映画が「集団制作」の最たるものだという意識が強い。
音楽にシンガーソングライターからフル編成のオーケストラまで、アンプラグドもあれば
ばりばりのデジタル電子楽器もあり、民謡浪花節から現代音楽・ノイズミュージックまで様々なジャンル・多彩なスタイルがあるように、映画もまたそうあってしかるべきだろう。
ただ、古代に発生した音楽と異なり、映画が技術の産物、近代文明の中から登場してきた20世紀的表現物であるという出自は忘れるわけにいかない。来歴由来ゆえに
流通・市場展開の現代的課題も複雑多様で複線的だ。
だからこそ、スタッフワークを越えたプロデュース機能の充実が求められる。
だからこそ、独りで向き合うより、衆知の結集、チームプレーをすすめたい。
「一人の好士より三人の愚者」 英語では、Two heads are better than one. Two eyes can see more than one.なんてのもある。
もっとも、「三人寄っても下種は下種 」というのもあるので、要注意だが。
取り巻き・イエスマンをはべらせてのお山の大将では、チームでもスタッフでもない。
集団制作とも集団創造とも云えない。